新しいことを始めるのが不安な時読みたい記事

私は、ずっと「やりたいけど、人目を気にしてできないこと」
がたくさんありました。

 

本当はやりたいと思っているけど、例えば人に聞かないとわからないから
できないこと。
詳しい知り方を、一人で解決できればいいけどそれもできないで、躊躇すること。

 

特に、私の場合は対人恐怖症の毛があり、人と「面と向かって話すこと」が
苦手な自覚が強いので、その傾向は大きいです。
→プロフィール

 

 

しかし、一度勇気を出してやってみれば意外と大したことなかったことがある、
ということに気づけました。
だからこそ、今は「少しずつでも、できない自分からできる自分になりたい」と
思い、亀の歩みでもチャレンジするようになりました。

 

できないことをする時、新しいことにチャレンジする時。
どうしても不安になってしまった時、一度読んで「新しいこと」に対するやる気と
意欲を高められる記事です。

 

 

・人生はチャレンジしてこそ…とわかってはいるけど

・挑戦を恐れるのは失敗が怖いからと、あと一つ
・やらないか、やるかは「後悔するかどうか?」で決めてみる

人生はチャレンジしてこそ…とわかってはいるけど

例えば、人に聞かなければわからないこと。
新しいことを始めたい、とは思ってもなかなか重い腰が上がらない理由の一つに、
「聞かなきゃわからない、めんどくさい」という思いがあります。

 

なるべくなら、聞かずに一人で解決したい。
誰にも相談せず、一人きりで解決できたなら楽だし、こんなにためらわないのに。
もしかすると、あなたにもこのような悩みがあるでしょうか?

 

 

人に「聞く」と考えるとどうしても、私の場合は気乗りしないその理由の一つに
「うまく聞けるかわからない」というものがありました。
実際、話すことにコンプレックスを持っているので、なかなか特に人と
対峙する時には、「うまくできるかな?」と「うまくいくこと」ばかり
意識してしまう。

 

要するに、「やる前から、うまくいくこと」を願い「未来の先取り」をしていた
私ですが、どうしても「過去の失敗例が多い」と、その意識にも拍車が
掛かる、というものです。
つまり、「失敗経験があるからこそ、その失敗が恐れを生み、行動に対する
ストッパーを掛けている」ということですね。
→元気がない時は少し視点を変えると今すぐ幸せになれる

 

 

自分を客観視してみれば、「失敗なんて恐れずに行動すればいいのに…」とも
思いますが、それでもやはり「人に失敗を見られる」のは誰しも怖いですよね。
いくら頭では「他人は気にもしていない」とはわかっていても、どうしても
視点が自分本位になってしまうと、必要以上に失敗を恐れます。
→気にしすぎの性格を直して行動する自分になる
→自分を客観視する癖をつけるとネガティブからポジティブになれる

 

それでも、今は大分「できない自分」を認められるようにもなったので、私は
いざ人と対峙した時、「うまく話せないコミュ障な自分」を出してしまっても、
前ほど「できない自分」を責めることも無くなりました。

 

 

むしろ、「ああ、できなかったけど今はこれでいいや。少しずつ改善していこう」
と前向きにすら思えるようになりました。
恐らく、自分で「自分のやりたいことを目いっぱいやっている」ために、
知らぬ間に自信がついていたせいだと思います。
→好きなことをすることで嫌われることを恐れない

 

だからこそ、チャレンジするのが怖かった人生で、諦めていたこともたくさん
ありましたが、今は「一つずつ、少しずつでも取り組んでいければいい」
肩の力を抜いて、前より行動の幅が広がる感覚を実感しています。

挑戦を恐れるのは失敗が怖いからと、あと一つ

挑戦してこそ、その先に楽しさや感動もある…と頭ではわかっているのに、
なかなかそれができないのはやはり「やる前から、やった時のこと」を考えて
しまうせいです。
そして、「失敗しないように」と先々の行動に備える意識が、
かえって失敗を恐れる意識を生み出す。

 

失敗については、下記の記事でもお話ししていますので参考にどうぞ。
→失敗が怖いと思った時に考えたいこと
→失敗が怖いからと完璧人間を目指してもうまくいかない理由

 

 

そして、挑戦を恐れる理由として私の場合「失敗が怖い」という意識と、
もう一つ存在することに気づきました。
もしかして、あなたにも似た部分があるかもしれません。

 

それは、例えば冒頭で言った「人に聞かなければわからないこと」の場合だと、
「上手に伝えられないかもしれない、口下手でカッコ悪い自分」を相手に
知られるのが嫌だった。…ということでした。

 

 

つまり、一言で言うと「カッコ悪い自分を知られたくない」ということですね。
要するに、もっと噛み砕いて言えば「見栄を張っている」ということになります。
下記の例も、典型的な「見栄」からくる失敗でした。
→見栄っ張りな女がサイト運営で犯したとある間違い

 

当時の私は、何をするにしても「現実の自分」と「理想の自分」の落差が、
人一倍激しかったのかもしれません。
「できない自分」を認められない最大の原因は、「今の、現実の自分は『こう
なんだ』と直視することができないから」です。
つまり、早い話が「私はこんなもんじゃない、もっとできるはず」と頭のどこかで
常に思っている。
→理想が高い人ほど、現実を受け入れられない?

 

 

だからこそ、例えば結果がうまく出せなければ「本気じゃなかった」と言い訳も
したくなるし、そもそも心の底では「カッコ悪い、できないかもしれない自分」
を痛いほど自覚している。
けど、見栄が邪魔してそんな「ありのままの、背伸びしない自分」を
認めることができない。

 

 

 

芝生

 

 

 

その結果、せめて外面だけでもよく見せたくて「できるふりをする」
「わかってるふりをする」と見栄っ張りな行動を起こすのが、かつての私でした。

 

なんとも、今客観的に振り返ってみても「カッコ悪い」としか言いようが
ありませんが…客観的に見て、このような人間にはなりたくないですよね?

 

 

そもそも、「できないこと」がカッコ悪い…という考え方そのものを今では
疑問にも思っています。なぜなら、「できないから」そんな自分を「隠そうと
する」その思考のほうがよほどカッコ悪く、「できないから」「できるように
努力する」ほうがよほど建設的だと気づいたからです。

 

第一にして、「できない自分」を取り繕うことは、お世辞にも前向きに
伸びていける行動とは言えませんよね。
→弱い自分も今の自分も認めることが成長に繋がる

 

私も、今こうしてそんなかつての「見栄っ張りの、カッコ悪い自分」をここで
他人事のように話すことに、正直なんの抵抗もないわけではありません。
自分の過去の功績を語るならともかく、わざわざカッコ悪い話を暴露して
自分のカッコ悪さを見せたい…などと思う人が、いるはずありませんよね。

 

 

では、なぜ今わざわざここで「かつての見栄っ張りの自分」の話をしているのか。
その理由は、今「かつての自分」を吹っ切れたお陰で「生きるのがとても楽に
なった」からです。

 

つまり、かつて「背伸びしていた自分が、どうしようもなくカッコ悪かった」
ことに気づき、その上で今「ありのままでいる自分」を選択したら、
かつての息苦しさが嘘のように「気楽に生きられるようになった」から。

 

 

だからこそ、もし今この記事を読んでくださっているあなたが、
「なんか、どこか息苦しい」と思っているのなら、一度「自分に対して、どこか
見栄を張っていないか?」と気づくきっかけにしてもらえれば…
と思ったからこそ、今こうしてお話しすることにしました。

 

人の成功例から学ぶことができるように、人の失敗談からもまた、学ぶ意識が
あなたや私がますます、伸びていく上で欠かせないことだと思っています。

やらないか、やるかは「後悔するかどうか?」で決めてみる

いくら口で「人生はチャレンジしてこそ輝く」…みたいなことを言っても、
やはり実際に行うのにはためらいも出てきますよね。

 

恥をかきたくない、失敗したくない…とやる前から「やった時のこと」を
恐れてしまうからこそ、人に対する苦手意識が出てくる。
私にしても、客観的に自分のことを見れるようにはなったものの、それでもまだ
人と対峙する時や、何かしら接する必要がある時には緊張も動悸もします。

 

 

しかし、今の私はそんな自分のことをこうして他人事のように語れるように
なりました。
少し前までは、やはり「カッコ悪い自分」「人と同じようにできない自分」を
故意に隠そうとする意識が強く、ずっと知られたくないと思っていました。

 

できない自分が、ずっとカッコ悪いと思っていた。
人と同じように力を抜いて話せない、言葉が詰まってしまう自分がカッコ悪い。
人と同じように「働いて、お金を稼ぐ」ことができない自分がカッコ悪い。

 

 

ずっと、そう思ってそんな「カッコ悪い自分」を取り繕おうと、必死で隠して
「できるふり」をして生きてきました。
しかし、そんなことをしても「できないものに蓋をしている」だけで、
「できないものができるようになる」わけではないと、気づきました。
→自分の嫌いなところを受け入れると穏やかになれる

 

そして、必死になって「隠す」ほうがよほどカッコ悪いし、そもそも「人と
同じようにできないこと=悪いこと」だと決めつける発想のほうが、よほど
かたよったものの見方ではないか?とそう思いました。

 

 

隠すことに疲れたのもあります。意図して「自分ではない、理想の自分」を
演じていれば、当然「自然体でない」ので疲れて当然ですよね。

 

隠すことをやめ、ありのままの自分を取り繕わず、「できなくても今はこれで
いい」「話せなくても、今はこれでいい」と一旦自分を認めた。
その上で、「少しずつ、できるように努力していこう」と思えた。

 

すると、自然と「やりたかったけど、ストッパーを掛けてやらずにいたこと」が
少しずつ、できるようになりました。

 

 

 

ひまわり

 

 

 

ありのままの自分を認め、自然体でも「暮らしていける」ことに気づき、
こんな自分でも「人はそんなに気にしていない」し、不思議に思われることも
あるけど、それでも生きていけないわけではない。

 

そして、時に勇気を出して「ありのままの自分」を露出していくことで、
ちゃんと認めてくれる、理解を示してくれる人もいる。
世界は、決して私が思っていたほど冷たくはない。優しい人はたくさんいる。

 

 

そのことに気づき、歪んだフィルターを通して見ていた「色眼鏡」を外すことで
私は、今では大分自然体でいられるようにもなりました。
人と対峙すると、緊張が先立っていたのが今は、ふと冷静になれる自分がいます。

 

恐らく、こんな自分のことを「コミュ障」だと鼻で笑ってバカにする人も一部、
世界にはいることと思います。
「人と違った、異端児」と見られ、腫れ物扱いもされるかもしれない。

 

 

けど、それでも私は「大多数の中の、普通の人」を演じるのはもう疲れました。
例え人と違っていても、少々おかしな奴でも「ありのまま」でいよう、と
思えるようになりました。

 

肩の力が抜ければ、自然と今まで避けていたことに取り組めるようにもなります。
なぜなら、人目を必要以上に気にしなくなるので、「他人目線」から「自分目線」
に移行するためです。
つまり、「自分が本当にやりたいことを、他人を気にせずやれるようになる」。
→一般論や常識に振り回されると「生きるのがつらい」と感じる理由
→幸せになるには「感謝の気持ち」が鍵となる

 

 

思い切ってやってみれば、意外と便利なことがたくさんあることに、
この数年で気づきました。
今までやらずに逃していたこと、早く知っていればもっと便利だったであろうこと
たくさん、知ることができました。

 

「ありのままの自分」を認めるのは、やはり言うほど簡単でないことは私も
身に沁みてわかっています。
何せ、10年引きこもって人目を気にして過ごしてきた人間です。

 

 

本当はやってみたいけど、やらずにストッパーを掛けていること。
「やるか、やらないか?」を決めるための判断材料の一つとして、「後悔するか
どうか」があります。

 

やらずにいても「別にいいや」と思えることは、あなたにとってそれほど
大切なことではないのかもしれません。
一方で、やらないと後々「後悔するかもしれない」なら、勇気を出して
取り組むのも、一つの選択です。

 

 

長いようで、短い人生。私たちがこの世に生きていられる日数はたったの
約3万日です。
どうせなら、歳を取った時「あの時やっててよかった」と思える人生にしたい。

 

私はそう思ったので、人生で一番若い今のうちに今まで諦めていたこと、
たくさんの経験を踏むことを選択しました。
時には休むことも必要ですが、頑張れる時には全力でやってみるのも、
人生を充実させる一つの方法だと、そのように思いませんか?

 

雑談やご感想があればこちらからどうぞ。