ついダラダラしてしまうあなたへ。強迫観念は捨てていいんです

あなたは、日頃テキパキ動くタイプですか?

 

それとも、ついダラダラしてしまう自分に、
後になって罪悪感が浮かぶタイプでしょうか。

 

 

この記事を開いてくださったということは、恐らく
「ダラダラしてしまう自分が嫌だ、直したい」
と悩まれているのかもしれませんね。

 

 

しかし、少し待ってください。

 

ダラダラしてしまう、とか強迫観念に刈られる、
とかそういったことを一切捨てて生きるほうが、
この先あなたも私も楽に生きられる。

 

と、そのようには思いませんか?

 

 

・「何かしなきゃ」と思う気持ちはいつ、誰が刷り込んだ?

・自分に自信がつくとメンタルが強い人になれる
・どんな自分も受け入れると物事にも集中できるようになる

「何かしなきゃ」と思う気持ちはいつ、誰が刷り込んだ?

実は、私も引きこもり当初。
ずっとダラダラしていたものの、動き出すことを決めてからは、
ずっと見えない強迫観念に追い立てられていました。

 

 

本当はもっと休んでいたいのに、常に見えない何かに「休むこと」
を責められているようで、仕方ない。

 

早い話が、
「常に何かしてなきゃいけない」と思っていたんですね。

 

 

引きこもり当初も、当時は気持ちがどん底まで沈んでいたこともあり、
「何かしたほうがいい」とは思いつつ「何もすることができない」
状態でした。

 

だからこそ、例え「何かしなきゃ」という強迫観念があっても、
「できない自分」が優先されていたせいで、

 

結局「何もやらず(できず)日々を過ごしていた」。
…と、今になって思います。

 

 

しかし、やはり「何もしたくない、できない」とは思いつつも今、
振り返ってみて「何かしなきゃ」という思いは、
どこかにあったように思います。

 

 

つまり、「できない自分」を自覚しながらどこかで、
「何かしなきゃダメだ」と自分を追い立てる自分がいる。

 

すると、「しなきゃいけない」のに「できない」自分を実感して、
ますます自信がなくなる。

 

「ああ、しなきゃいけないこともできない私って、なんてダメなやつ」
…というふうに。

 

 

悪循環でしかない事例ですが、そもそもの話「ダラダラしてしまう」
のこの「してしまう」の部分。

 

しまう、と言うということはつまり「悪いこと」
だと思っている、ということですよね。

 

 

つまり、ダラダラ=多くが「何もしない」ということなので、
何もしないことそのものが=悪だと、
頭のどこかで決めつけているということです。

 

→何もしたくない時はどう過ごす?できない自分を責めなくてもいい

 

何もしない=悪。ダラダラしてしまう=悪。
これって、果たして本当にそうなのでしょうか?

 

 

 

雨

 

 

 

前提として、この「何もしないこと=悪、ダメなこと」
だという価値観を持っている人は、
この国に大勢おられます。

 

かくいう私も、やはりいつからか棲み着いた、
強迫観念に刈られては「何もしない時、
できない時」には「自分ってダメなやつ」だと決めつけていました。

 

 

特に、何かしなきゃいけないことがあるのに、
重い腰を上げられない、ついついダラダラしてしまう…
と実感すれば、私たちはそんな自分を責めてしまいがち。

 

動きたいのに動けないのって、わかっているだけにつらいですよね。

 

 

では、一体この「何もしないこと、ダラダラしてしまうこと=悪」
だという根本の価値観は、誰のものでしょうか。

 

もっと言えば、一体誰が、
いつどこで私たちに植え付けたものでしょうか。

 

 

こういう言い方をすれば、学ぶ意欲の高いあなたのことですから、
もうお気づきかもしれませんね?

 

そう、この「何もしない=悪」という根本の価値観を植え付けたのは、
国や社会のシステム、もっと言えば「学校教育そのもの」です。

 

 

これが、どういうことだかあなたはお分かりでしょうか?

 

 

国や会社が最終的に「求める人材」は、「自分たちのためにあくせく、
身を粉にして働いてくれる優秀な人材」です。

 

そのために、「国や社会のシステムに疑問を感じず、
従ってくれる人材」を早いうちから、
学校教育によって「自分たちの都合のいいように」形成します。

 

→学校に行けない、働けないと悩んだ時の解決法
→不労所得で生活する。「ブログで稼ぐ方法を選ぶ」

 

 

会社で雇われて行う労働は、「働けば働くほどに」
会社にとって都合がいいわけです。

 

だからこそ、当然国や会社は「休むこと」を良しとせず、
ただ必死になって「働くこと」を正義だ、
と思わせるための教育を幼少期からほどこすわけです。

 

 

その、「働くこと=正義」「働いていないこと=悪」という価値観が、
幼少期から私たちに植え付けられてきた事実。

 

あなたもよくご存じのことと思います。

 

そして、「働いていない=悪」と同じように「何もしない=悪」
という誰が決めたかもわからない価値観を、暗に人々に植え付ける。

 

 

他ならない、国や会社にとって「よく働いてくれる、都合のいい人材」
を形成するため…という
「個人の自由、人格」などほとんど無視した理由によって。

 

 

考えてもみてください。

 

私たちが大人になり、幼少期と違い「自分で物事を考えられる頭脳」
を形成された今なお。

 

どこの、誰が決めたかもわからない「国や会社にとっての、
都合のいい価値観」などを守る必要が、
一体どこにあるでしょうか?

自分に自信がつくとメンタルが強い人になれる

幼少期。

 

まだ右も左も、善悪の判断も正しくつかないような頃に
植え付けられた価値観は、
やはり大人になってもなかなか抜けません。

 

 

子供にとって「大人の言うことは偉大」です。

 

例え、その中身が理不尽なこと、間違ったこと、
筋の通っていないことだとしても無条件に信じてしまいますよね。

 

 

一方で、常識や社会の一般論に縛られる人ほど、
この世の中生きづらく過ごしにくく、
「自分をうまく出せない」のも事実だと思います。

 

→一般論や常識に振り回されると「生きるのがつらい」と感じる理由

 

 

なぜなら、どうしても染み付いた常識や一般論を基準に、
「自分の頭で考えた意見」よりも「周りが、社会が決めた意見」

 

を重要視するあまり、
「自分の意見」が曇ってしまう恐れがあるからです。

 

人の意見を気にして、
自分の主張ができないことほど息苦しいことはありません。

 

 

しかし、一方でこの世の中には「自分の主張を、
自信を持ってはっきり言い切る」人も、
一定数おられます。

 

 

はっきり言える人と、言えない人の最大の違い。
それが果たして何であるか、あなたはご存じでしょうか?

 

 

そう。
それは多く「自分に自信があるか、ないか」の違いです。
考えてもみてください。

 

 

自信とは、読んで字の如く「自分を信じること」。

 

つまり「自分の主張を『間違っていない』と心から信じている」
からこそ、
人に対してもはっきり言い切ることができます。

 

 

そして、自分に自信がある、自分を信じているからこそ
例え他人の意見が違う、

 

とわかってもおいそれと「自分の主張に不安を持ったり、覆す」
ということをしません。

 

 

なぜなら、最初から自分の意見に絶対の自信を持っていて
「ブレない」ために、
基盤がしっかりしており外からの衝撃を受けても揺らがないためです。

 

土台をしっかり組み立てずに作った家はすぐ崩壊しますが、
基礎がしっかりできていれば、ある程度の衝撃にも耐えられますね。

 

→行動力をつけるには小さなことから始める

 

 

「基礎がしっかりしており、大抵のことではブレない」。

 

だからこそ、そもそも「芯が強い」ので揺らがないメンタルの形成も、
自ずとできてきます。

 

 

そもそもの話、「自分を信じている」ために「不安要素が最初からない」
ので、疑心暗鬼になったり、
外からの揺さぶりに影響されることがないんですね。

どんな自分も受け入れると物事にも集中できるようになる

「ブレないメンタル」を作るためには、
「自分を信じる」つまり自信をつけることが鍵となる、
とお話ししました。

 

 

では一体、その「自信をつける」にはどうすればいいか、ご存じですか?

 

 

あなたもとうにお分かりかと思いますが、
「自信」というものはただ生活を何も考えず繰り返すだけでは、
身につきません。

 

テレビを呆然と見ていれば自信がつくかというと、
そんなことはありませんね。

 

 

一方で、「他人に認められる」「ある種の結果を出す」
なども確かに自信がつく一つの方法ですが、
これらは「周りから認められたことでつく自信」です。

 

→器用な人でなくて良かったと思ったこと
→好きなことをすることで嫌われることを恐れない

 

 

ブレないメンタルを作るための「自信」は、
周りから認められることよりもまず「ありのままの自分」
に対する揺らがない自信をつけることが重要となります。

 

ありのままの自分。

 

つまり、「地位や名誉、肩書などを抜きにした
『何もない状態』の、素の自分」です。

 

 

学歴が低くても、資格がなくても、
働いていなくても、何もしていなくても、

 

どんな状態の自分でも「自信がある」。
それが、ありのままの自分に対する自信。

 

 

難しいですよね。

 

ありのまま、だなんて言われてもやはり世の中に生きている以上、
私たちは大なり小なり人と比べることをします。

 

華々しい世界で活躍するスターを、
時には素直に応援できないこともあります。

 

 

しかし、
人と比べていても決して「ありのままの自信」は形成されません。

 

 

なぜなら、「人と比べること」そのものが、
「周りからの価値判断を基準にしていること」。

 

なので、人の評価で固めた自信は安定しないからです。

 

周りの評価は、一定しません。

 

一方が「いい」と言った先もう一方が「悪い」と言えば、
いちいち自信がブレてしまうなら、

 

それは「自分自身が形成した、
ありのままの自分に対する自信」ではありません。

 

 

私も、昔はこの「周りからの評価」に左右され、
人目を気にしてばかりで「自分がない状態」でした。

 

だからこそ、自信などボロボロの散々でした。

 

「あの人がいいと言うから良し」「この人がダメと言った自分は、ダメ」。

 

これでは、他人依存で「自分が主体」ではないため、
いつまでもあっちへフラフラ、
こっちへフラフラと自分が定まりません。

 

 

私は、それに気づいてからは大部分で「他人の、
何気ない価値判断や基準」に左右されず、
「自分で物事を決める」ようにもなれました。

 

 

 

朝焼け

 

 

 

周りの評価に振り回されず、
ありのままの自分に自信をつけ「ブレないメンタル」を形成するためには。

 

まず、「どんな状態の自分も、受け入れる」
ことが重要となります。

 

 

というのも、自分が心から「今の自分の状態」に納得し、
満足していればそもそも、
周りから何を言われようが決してブレないからです。

 

そして、自分に揺らがない自信があるからこそ、
例えダラダラしていても「ああ、ダメだ。

 

またダラダラしてしまった」と今の自分の状態を、
責める意識も出てきません。

 

 

どんな自分でも肯定して、「悪い」と思っていないからこそ、
時にはダラダラするのもよし、時には気を張って頑張るのもあり…と

 

「どのような自分でも、全て『よし』とすることができる」のですね。

 

 

自信がなくなる最大の原因は、
「自分で自分を否定すること」にあります。

 

自分に対してあれもダメ、
これもダメと今の自分を否定してばかりいれば、
いつまでも認められないので心が満たされることもありません。

 

 

強迫観念に刈られていることも、ダラダラしてしまうことも、
そしてそんな自分を「ダメだ」と思ってしまうこともまず認める。

 

そして、受け入れる。
それができて初めて、人は少しずつ自信が形成されていきます。

 

 

認める、受け入れるということは「自分を否定しないこと」なので、
当然自信がなくなることもない。

 

逆に、「自分を肯定する」ことを続けていれば
「こんな自分でも大丈夫」と、自信がつくのもうなずけますよね。

 

 

そして、自分を認め受け入れ少しずつ自信がつくようになれば、
自分に対しての「ダメ出し」が減るので、
次第に自分に寛容にもなれます。

 

寛容になれると、今までダラダラすることや何もしないことを「悪」
だと感じていた意識も薄まり、
「今はこんな自分でもいいか」と自然と思えます。

 

 

今はこれでいい、と思えればそもそも例えダラダラしたり、
何もしないことがあっても以前ほど気にならなくなってきます。

 

「ダラダラ、何もしない=悪」でなくなれば、気にならないのも当然ですよね。

 

 

すると、結果的に「ダラダラしてしまうこと、何もしないこと」
をダメだとそこにばかり向いて、

 

落ち込んでいた意識がなくなるのでより、
「今やるべきこと」に集中し、物事に取り組めるようになります。

 

 

悩みの種が減ったなら、自然と余計なことを考えず集中できるのは、
ここまで真剣に読み進めることのできるあなたになら、
今更言うまでもないことでしょうか。

 

 

「ダラダラすること、何もしないこと」を解消しよう!
…とするよりも、まずそんな自分を認めることから始める。

 

すると、結果的に「ブレないメンタルと揺らがない自信が形成され、
更に物事にも集中し、余計なことを考えず取り組める」
という思ってもみないメリットが舞い込んできます。

 

 

焦って解決しようとするより、時には冷静になって現状を見つめてみる。
成功する上で、欠かせない意識だとそのように思います。

 

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