どうにもならない問題は無理に解決しないほうがいい理由

問題、と聞くとあなたはどのようなイメージが浮かぶでしょうか?

 

 

「問題があるなら、早く解決するに越したことはない」
「さっさと解決しておかないと、後々大変なことになるかもしれない」
「解決するからこそ、スッキリ気分も晴れやかに過ごせるよね」

 

 

問題と聞けば、恐らく多くの人はこんな風に考えがちだと思います。
かくいう私も、昔はずっと「問題=解決するもの」と思っていましたし、
もしかするとあなたも似た思いがあることかもしれませんね。

 

しかし、問題を「重要なこと」と捉え、解決ばかりを目的にして
「なんとかしよう」とすると、途端に自分ばかり疲れることになります。

 

 

・話し合いがうまくいかない時、成立しない時

・無理に向き合うと自分ばかり疲れる
・解決しないと「幸せになれない」わけじゃない

話し合いがうまくいかない時、成立しない時

人には、それぞれ個性や価値観の違いがあるために「意見の食い違い」により、
話し合いをしても平行線でいつまでも解決しないこともあります。

 

すぐに解決する些細な問題や、お互いに「相手の主張を理解し、ある程度折れる」
こともできればまた話は別ですが、そうはいかないことも多くありますね。

 

 

例えば、お互いに「自分」というものをしっかり持っており、なかなか相手の
主張を聞き入れられずに、どこまで行っても平行線をたどる場合。
そんな時、無理に「なんとかしよう」として話し合いを続行しても、恐らく
互いに疲れるだけで、解決に至る可能性は極めて低いでしょう。

 

なぜなら、そもそも互いに「相手の主張を聞き入れる」つまり、理解する気がない
ために、解決(または終了)に至るには「どちらか(または両方)が、折れて相手の
主張を聞き入れる」しか道がないせいですね。

 

 

「こうと言えば、こう!」といつまでも我を張っていたところで、例えば
相手が折れてくれるのならいいですが、相手もまた「それは違う、こうだ!」と
一本調子で言われれば、どこまで行っても交わることなく平行線です。

 

こんな時に、無理して「問題解決」を目的として、いつまでも平行線の
話し合いを続けても結局、疲れるだけだと思いませんか?

 

 

お互いに、「相手の意見を尊重する」気持ちがなければ、それは「話し合い」と
言うよりもただの「意見のぶつけ合い」です。
話す相手、心で言葉を感じる相手がいるからこそ、より冷静に相手のことを
思って一語一句つむぐほうが、よほど気力体力を消耗せずにいられます。

 

 

 

鉛筆

 

 

 

そして、話し合いそのものがそもそも成立すればいいですが、成立しない場合
も、実際にあります。

 

 

例えば、夫と妻の「意見の食い違い」から、一方が「解決したい!」と思って
話し合いを申し出ても、そもそももう一方が「聞く耳を持たない」場合は
あります。

 

「話し合いなんだから、聞くのが当たり前でしょう」と思われるかもしれませんが
実際に、私も「人の話を聞く気がない」「人が話していても、無視して
立ち止まらず、どこかへ行ってしまう人」に何度も出会ったことがあります。

 

 

どうでしょうか?そもそも、どちらか一方でも「聞く気がない」「話す気がない」
となれば、話し合いそのものが成立しませんよね。
こうなってしまえば、ケンカどころか解決など、夢のまた夢です。

 

このように、「そもそも話し合いが成立しない」ことや「話し合っても、お互い
いつまでも平行線で、一向に解決しない」ことがあるからこそ、
無理に解決を望んで話し合いを進めることは、結局互いに消耗するだけで
なんの益にもならない、とそのように思います。

無理に向き合うと自分ばかり疲れる

疲れるし、いざ向き合ってみても一向に解決する素振りがない。
それなのに、「解決すること」を目的にして本当はしたくもない、争い
続けたくなどない話し合いを続行することに、どんな意味があるのでしょうか?

 

 

これが、「ちょっとした思い違い」などですぐに解決する問題なら、
少し話し合ってみるのも得策だと思います。
話をすることで、お互いに疑問が解け相手の考えがわかり、心にモヤモヤと
溜まった想いも浄化されてスッキリするからですね。

 

確かに、このように「話し合いによって、ケリをつけることでスッキリできる」
のなら、話し合いにも価値があるし、そのような場合にはむしろ
率先して話し合うのが有効とも言えます。

 

 

しかし、やはり問題は「解決する見込みのない問題について、いつまでも
話し合う時」ですね。

 

例えば、「家電が壊れたので、話し合って新しいものを買いに行く」
などであれば、明確なゴールと答えが出ているので積極的に解決に向けて、
動くのは賢明な判断のように思います。

 

 

このように、すぐに解決できる問題がある一方ですぐには解決できない問題
があるのも、まぎれもない事実です。

 

だからこそ、今すぐ「解決すること」に囚われて、焦って動こうとしても、
例えば機関車なら「錆びていて動かない」ということもあるかもしれません。
「動かないものを、無理やり動かそうとする」のは、他ならないあなた自身が
疲れる、最大の要因となってしまいます。

 

 

今動かないなら、一気に無理やり動かそうとせず少しずつ油を注して
動くよう修正していくか、「今は動かない」ということを受け入れつつ、
時間をかけて修復していくか。

 

それこそが、なるべく「動かないこと(問題)」に囚われずに過ごせる、
快適な時間の使い方だとは思いませんか?

解決しないと「幸せになれない」わけじゃない

人間誰しもやってしまいがちなのが、そこに「問題がある」とわかると、
なんとしてでも「解決しよう」としてしまうこと。

 

 

「いや、問題があるんだから放置しておいたって、気分はスッキリしないでしょ」
「問題があるのがわかっていながら、放置するなんてただの逃げじゃない」

 

 

あなたは、このように思われたかもしれませんね。
しかし、上記で言ったようにやはり「解決できる問題」はいいとしても
「(今)解決できない問題」があるのは事実ですから、その「解決できない問題」
について、今あれこれ考えて結局気分を悪くしてしまうのなら、いっそのこと
「今は考えない」という選択肢もありだと思います。

 

そこで、新たにあなたはこのように思われるかもしれません。

 

 

「今解決しないで、いつするの?結局、先延ばしにしたいだけじゃない?」

 

 

確かに、問題があるとわかっているからこそ、なるべく早く片付けるからこそ
スッキリできるのも事実です。
そして、スッキリしない問題はストレスの一因にもなるかもしれませんよね。

 

しかし、一方で「問題」と聞けばそもそも「解決しなければいけない」
ものなのでしょうか?

 

 

例えば、問題があっても気にせずに、解決せずに気楽に過ごすことはできます

 

一時は向き合ったにしても、今は「解決できない」ということがわかったからこそ
一旦放置して、気にせず「問題視せずに、幸せに過ごす」ことは可能です。

 

 

問題があるからと、常に意識を取られ「解決しないと、夜も眠れない!」と
あくせく過ごすのは、当然身体にも心にもよくありませんよね。
つまり、問題を「問題視する」せいで、その問題がより巨大で深刻なものの
ようにすら感じられる。

 

だからこそ、焦って「早く、なんとかしなきゃ!」と思うけれど、そもそも
既に何度も向き合ってみても、それでも一向に答えの出なかった問題ならなお、
「今、無理に解決できる」はずがありません。

 

 

 

自転車と

 

 

 

なぜなら、そもそも「解決法をわかっていない」あるいは「今は、その問題を
解決できる時じゃない」からです。

 

人との話し合いにしても、相手が「聞く耳を持ってくれない」のに、無理やり
話し合いに参加させても、恐らく相手は真面目に向き合ってはくれません。
しかし、人間ですから私たちは誰しも「時を経て、少しずつ変わる」ことの
できる生き物です。

 

 

だからこそ、「今は」向き合って、話してくれないかもしれないけど、
例えば1年後、2年後。たくさんの経験に触れ、気持ちや考え方にも変化が
生まれ、やがて「気持ちよく、向き合ってくれる日」が来るかもしれません。

 

 

「今まで、向き合ってくれなかったのにそんな可能性に期待できないよ」
「それって、ただの希望的観測じゃない。確証が無さすぎるよ」

 

 

とも思われるかもしれませんが、それでもどちらにせよ、「今話し合える状況
ではない」のに、無理やり話し合うのも、結局絶望的ですよね。
なら、いっそのこと時間に任せて「いつか、話し合えるようになる」と信じて
今はただ待つのも、一つの選択肢だとそのように思います。

 

 

私も、現に昔は「人の話に聞く耳を持たない、自分のことばかり」の人間でした。
しかし、自分と少しずつ向き合ったことによって今は、その頃とは違い
自分のかつての態度を反省し、少しずつ人と向き合うことができるようにも
なりました。

 

まだまだ、至らないところがあるのも自覚しています。
成長の余地だらけで、偉そうなことを言っても多くの人に支えられて生きている、
欠陥ありきの未熟な人間だということもわかっています。

 

 

しかしそれでも、以前と比べて成長した自分を実感することができています。
だからこそ、「歳月を経て、人は変われる」ことを身に沁みて実感しましたし、
私が変わったことで、周りの人にもいい影響を与えていけたら…と
浅はかながら、そのような考えも持っています。

 

 

相手が変われば、いつの日かあなたの話を聞いてくれる時が来るかもしれない。
そして、もしかするとあなたや私自身が変われば、話し合いや問題解決そのものを
重要視しなくなる、より気楽に過ごせる日が来るかもしれません。

 

どうせ生きるのなら、未来にも希望を持って一日一日を重みのあるものとし、
大切に、そして今できることに精いっぱい取り組んで過ごしたいですね。

 

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