ひきこもり無職の生活をブログで発信することの恐怖

…を、最初はひしひしと感じていました。

 

というのも、やはり当初は初めてのブログ運営だと特に、勝手もわかりません。
だからこそ、「自分の意見を発信すること」に漠然とした恐怖がありました。
まして、引きこもりニートといえば世間体がすごく悪いので、「ブログなんか
やってないで、働け」なんて言われるかも…とずっと恐怖を抱いていました。

 

 

しかし、今はその思いが消えてありのままの自分を発信できるようになったので、
今回はその心境の変化についてつづっていきたいと思います。

 

余計な罪悪感が消えれば、人目を必要以上に気にしなくなり随分と
楽に生きられるようになるので、一度ざっと最後まで目を通してみてください。

 

 

・ありのままの自分を受け入れるのが怖かった頃

・ニートで辛い思いや罪悪感があったからこそ、発信できること
・人の目が怖い自分でも、今できること

ありのままの自分を受け入れるのが怖かった頃

やはり、ブログやサイト運営に慣れていなかったり、始めたばかりだとどうしても
方向性も定まっておらず、「どういった発信をしていけばいいのか?」と
頭を悩ませがちです。

 

 

私も、自分が引きこもりニートであることを堂々とブログで発信するのには、
正直始めの頃は大きな戸惑いがありました。

 

というのも、自分で今の自分の現状を認め、冷静に受け入れられるように
なったとしても、その「ありのままの自分」をネットで発信する経験は、
皆無だったからです。

 

 

つまり、「私は引きこもりニートだ、今は働いていないけど、でもそれでいい」
と思っていたとしても、「自分が受け入れてるからといって、他人が
同じ反応を取るとは限らない」という恐れがあったのですね。

 

むしろ、特にこの国は働いていないとどうしても「怠け者」という目で見られ、
至極居心地が悪いですから、余計に「今の自分」を発信するのが、怖かった。

 

 

そのせいで、正直ブログ開始前には「果たして、私は本当にこのままの自分を
発信していっていいんだろうか…?」と、一人頭を悩ませたことも
少なくありませんでした。

 

…とはいっても、それは「初めて始めたブログ」の話なので、2つ目となる
このブログでは、もう既に割り切って(むしろ開き直って)素の自分を
さらけ出すことには、一切の抵抗はありませんでした。

 

 

その頃には、既に「ブログによって、自分の考えを発信すること」に
慣れていたお陰もあり、抵抗がなくなっていたためです。

 

当時の私は、じめじめした日陰ばかりを歩いていたのに急に自分を出していく
ことが怖かったのだと思いますが、それでも一年以上ブログ運営を続けてみて、
今は「ブログを始めたからこそ、考えが変わった部分」があると気づきました。

ニートで辛い思いや罪悪感があったからこそ、発信できること

当初は、世間の批判が怖かったと言いましたが、いざブログを始めてみれば
その恐れはただの杞憂だったということに気づきました。

 

 

やはり、世間の人々は今も自分が一生懸命生きることに忙しいので、それこそ
芸能人や有名人でもない、たかだかいち一般人のブログなどにいちいち
批判しているヒマなどないのですね。

 

それを冷静に認識できるようになってからは、自分のことを
「自意識過剰だったな」とどこか客観的に恥じる自分もいました。
→気にしすぎの性格を直して行動する自分になる

 

 

私自身が、読者さんの励ましのお便りに勇気をいただけ、モチベーションアップに
繋がることは数多いですが、そもそも今読んでくださっているあなたを含めて、
気持ちの優しい方ばかりなのでしょう、批判の心配など無用というものでした。

 

それに、仮に批判がきたとしても「真正面から受け取らなければいい」だけで、
例えば同意できる意見だけを取り入れ、後は流すこともできるわけですね。

 

 

いちいち全ての意見を真に受けていれば、他でもない傷つき精神を消耗するのは
自分ですから、「2参考に、後の8は聞き流す」くらいが丁度いいのかも
しれませんね。

 

第一の話、人それぞれ顔形が違うように「考え方も様々」なのですから、
私も全ての人に「わかってもらいたい」などとは決して思っていませんし、
個々それぞれだからこそ、色んな意見が出てくるのも、当然なんですよね。

 

 

そう思えるようになってからは、むしろ「自分のブログだし、人を傷つける
ようなことでなければ、好きに発信していっていいんだ」と気楽に
構えられるようにもなりました。

 

そして、同時に一つ気づいたことがありました。

 

 

 

椅子

 

 

 

ブログを始める前は、来てもいない批判を恐れて少し尻込みしつつあった
私でしたが、実際にブログを始めて少しした頃、また考えが変わりました。

 

冷静に考えてみれば、先ほども言ったように「個々の考え方や価値観が、
一人一人違う」からこそ、様々な意見や思いが生まれるんですよね。

 

 

だったら、むしろ「自分のブログで、自分だけの考え方や価値観を思うままに
発信していくのは、ひょっとして貴重なことなんじゃないのか?」
とも思いました。

 

つまり、どういうことかあなたはお分かりでしょうか。
自分の状況や境遇が「世間体が悪いもの」だからと縮こまって何も発信して
いかないことには、誰にもあなたや私の考えが伝わることはありません。

 

 

一方で、例え自分の今までの経験や人生そのものが「大したことないもの」だと
思っていたとしても、実際には「自分の人生の体験者」は、あなた一人だけなので
端から見れば、とても素晴らしい経験にあふれたものかもしれないんですね。

 

それに、ニートや引きこもりという経験そのものも、決して「誰しもが経験
しているものではない」ですよね。
むしろ、引きこもりニートは世の少数派だからこそ、発信した意見や考えは
とても貴重なものであるかもしれない。

 

 

そう気持ちを切り替えることができたからこそ、かつては「自分の意見を発信
すること」に恐れすらあった私ですが、今は堂々と発信できるようになりました。

 

どんな人でも、「全く同じ人生や経験などない」からこそ、それぞれ一人一人の
経験や体験、考え方そのものが「どれも貴重で、価値あるもの」なんですね。
そんな、貴重なあなたの経験、考え方に心が動かされ、今後の人生すら
変わってしまう人だって、もしかしたら出てくるかもしれません。

 

 

私が、アフィリエイトを教えてくださった方と出会って人生が変わったように、
あなたも人に対して、同じことができるチャンスを持っているんですよね。

 

だとしたら、「あなただけの貴重な体験、考え方」をあますところなく
文章で、記事で発信していくのはむしろかけがえのない社会貢献だと、
そのようには思いませんか?

人の目が怖い自分でも、今できること

いくら引きこもり、ニートである自分自身を受け入れても。
いくら、ネットで自分の考えを発信することにためらわなくなったとしても。
やはり、ふとした時に厳しい世間の目に萎縮してしまうこともあります。

 

 

いくら、頭では「責められる筋合いなんかない」「堂々としていていい」
「自分の好きなように生きる権利は、誰にも平等にある」
とわかってはいても、やはり私たちに幼少期から染み付いた学校教育や、
「国や社会にとっての都合のいい価値観」という概念は、とても強烈です。

 

→引きこもり・ニートが働きたくないと思ったら
→働かないで生きるためにネットで稼ぐ方法を身につける

 

 

いくら大人になってから、「間違ったものだから」「もういらないから」と
捨てることを選んでも、子供の頃に身についた教えの存在は、大きいですよね。

 

その頃には必要だった学校教育も、「働くこと」「働いていないこと」に対する
罪悪感も、もう必要ないとわかってはいても、実際に捨てられたとしても。
長年染み付いた「世間の目」からの攻撃に、無意識に防衛本能を現したり。
どうしても、大っぴらに自分の状況を人に話すことにためらいがあったり…
ということも、私にも実際にあります。

 

 

つまり、一言で言うなら「人の目が怖い」ということですが、やはり
ニートや引きこもりの中にも、繊細で心優しく傷つきやすいからこそ、なかなか
今の自分の状況を割り切れず、どうしても責めてしまうという方もいます。

 

本当はもっと堂々としていたいし、世間の目なんか気にしたくない、
と思っていても、やはり長年染み付いた「無用の罪悪感」が、顔を覗かせる。

 

 

本当は、「仕事は?」と聞かれたら「あ、私働いてないんで」なーんて、
キリッと堂々と言ってみたいところですが、実際はそううまく割り切れるもの
でもありませんよね。

 

そもそも、それができる性格なら今まで散々、引きこもりやニートの自分に
こんなにも悩んでこなかった…という話になります。

 

 

 

ケーブル

 

 

 

世間が勝手に「働いていない」ことに偏見という歪んだ目を持っているだけで
私たちが、罪悪感を感じる必要はこれっぽっちもない。
実際、前向きにアフィリエイトに取り組む「行動」を行い、今できることに
全力を尽くしているのですから、これ以上何か、どうにかしようもありません。

 

しかしそれでも、大っぴらに自分のことを人に言えない。
縮こまってしまうのが癖になり、大きく出ることができない。

 

 

厳しい世間の目の中、堂々と生きるには私たち「少数派」にとっては、時に
つらいこともあるかもしれません。
何もしてないのに、無条件に冷たい目で見られることには既に、あなたも
慣れ切ってしまっているかもしれませんね。

 

しかし、それでも私たちはそんな世間の目に囚われず、これからも
生きていかなければなりません。
時に、決別したはずの世間の目に怯えながら生きる自分の「割り切れなさ」に、
嫌になることもあるでしょう。私も、実際にあります。

 

 

ですが、それでもただ「怯える」だけで何もせずにいる方とは違います。
既に、あなたはご自分の足で「やりたいこと」「手に入れたい未来」に向かって
一歩、二歩と進んでいます。

 

だからこそ、怖くても「本当の自由を、自分の力で手に入れた時」を夢見て
進むしか、道はありません。
世間の目が冷たいから、動けないからと同じ場所でじっとしていても、
「動き出す決心」をしないことには、何一つ変わりはしませんものね。

 

 

それがわかっている賢明なあなただからこそ、怖くても前に進むために、
今この記事を懸命に読んでくださっているのだと思います。

 

何もしない人の未来が、変わることはありません。
人の目が怖かったとしても、それでもその中で「進む」からこそ、やがて
「働かずに自由に暮らせる未来」が見えて来るのだと思います。

 

 

諦めずに一日一歩でも進んで、いつの日か自分の手で理想の未来をつかみ取り、
「誰にも何も言わせない、究極の自由」を目いっぱい味わいましょう。

 

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