人と違う道。視点を変えることで見えたもの

私は、昔漠然と「普通でいたい」という意識を持っていたような気がします。
むしろ、普通でなく人と違う、少し異常…という自覚があったので、普通でいたい
というよりは「普通になりたい」が正しいでしょうか。

 

特に、まだ社会のレールに沿って生きていた頃には強い思いでした。
→プロフィール

 

 

しかし、今になって「人と違う道」を歩むようになり。少数派として生きる
ことを選ぶようになり、見えてきたことがありました。

 

人と違うことを、悲観するのか。それとも、そんな自分に自信を持って
誇りを持って生きていくのか。

 

ものの見方一つで、人生は不幸にも幸福にもなると、そのように思います。

 

 

・当たり前って何だろう?ふとそんな風に思う時

・常識を疑うことが視野を広げることに繋がる?
・ありのままの自分に誇りを持つ

当たり前って何だろう?ふとそんな風に思う時

社会のレールに沿って生きていた頃と、転落した今とを比べてみてふと
感じる、一番の違いがあります。
それは、「自分のことについても、人のことについても、考える時間が増えた」
ということ。

 

 

社会のレールに沿っていた頃は、まだ10代だったこともあり身体も心も
発達途中で、もしかすると未熟だったかもしれません。
しかし、仮にその頃のまま「社会のレールから脱線することなく」進んでいた
としたら。そのまま、道を外すことなく大人になっていたとしたら。

 

果たして、私は今のような考え方でいただろうか?
ふと考えてみると、どうもそれは違うような気がする…という結論に至りました。

 

 

考えてもみてください。
日々、「生きることに必死」な中であくせく働き、日常を過ごしていれば特に、
私たちはいちいち「自分のこと」に考えを巡らせたりしません。

 

早い話が、「自分がどう思っているか?何を考えているか?」などを事ある
ごとに考えるヒマなどなく、ただ「効率よく仕事をこなす方法」を知りたい、と
思う意欲のほうが高いのではないでしょうか。

 

 

誰しも、心の中で漠然と感じる「疑問」はあるかもしれません。
例えば、働くことに感じる疑問。必死に働いても、貰えるお給料の少なさに
感じる理不尽と、不満。
→働くのに向いてないならネットで稼ぐ方法を知る

 

しかし、多くの人は「それが当たり前だ、仕方ない」と流して深く気にも留めない
ように、例え自分が今「しんどい、辛い」と思ってもそのしんどさの原因を
深く探るようなことはしない。

 

 

かつての私もそうでしたし、むしろそんな風に「あくせく働き、自分の時間など
取れないこと」が、この世の中で「当たり前」である部分もあるかもしれません。

 

そんな風に思った時、ふと感じることがありました。
当たり前って、一体なんだろう?…でした。

常識を疑うことが視野を広げることに繋がる?

例えば、普段何気なく過ごしている日常。
テレビがあって、眠れる場所があって、トイレや風呂に入れて、食事を摂れて。

 

物事を考えられて、こうして今記事を見ることができて、書くことができて。
こういう、流してしまえば「当たり前」と言えるようなことも、
ふと疑問を持ってみれば「それは本当に当たり前だろうか?」と思います。

 

 

外に出て、何気なく散歩できることは当たり前なのだろうか。
光を感じられることは、果たして当たり前なのだろうか。

 

答えは、当然NOですよね。
「今、自分が持っているもの」に気づくことができれば、より幸せになれるし
不満も消える…と私もこのブログでお伝えしています。
→感謝の気持ちを伝えるほど、思いやりの心が育つ

 

 

それと同じで、まず「当たり前」だと普段疑いもしないことも、一度
「本当に当たり前だろうか?」と疑いの目を持って見てみることで、自然と
見えてくる景色が違ってきます。

 

当たり前だと思っているものを、少し疑ってみる。
常識だと、一般論だと思っていることを、少し違った視点で見てみる。
例えば、どういうことでしょうか?

 

 

 

青空

 

 

 

散歩をしていても、外を歩ける時間があること、身体が動くことを意識する。
花の匂いを感じられること、平和な世界に生きていることに気づく。
それだけで、自然と感謝の意識が芽生えてきます。

 

なぜなら、気づかないことにはそもそも「見えない」ですが、一度認識すれば
それだけで視点が「持っていないもの」から「今持っているもの」に移り、
恵まれていることに気づけるからですね。

 

 

常識だと思っていることにしても、例えば一度「働くこと」に疑問を感じ、
「働かないで生きる方法」を調べたからこそ、アフィリエイトにも出会えた。

 

これが、「働くこと」はそもそも常識で、当たり前のことなんだ…と最初から
疑いもしなければ、結局心の底では「働きたくない」と思っていても、
その思いにすら気づくこともないですよね。

 

 

つまり、何が言いたいかというと「普段常識、当たり前だと思っていること」も
一度視点を変えて、「本当に常識だろうか?」と疑うことで初めて、
気づくことがあるかもしれない、ということです。

 

特に、自分が本当は「やりたくない」と思っていることや、「流されて
やっている」と思えるようなこと。
本心に気づくきっかけは、やはり「それを行っていて本当に満足しているか?」
です。

 

 

心の底では、「なんか違う」と思っていたり、「みんなやってるから」という
理由で行うことは、「自分の意志に従っていない」可能性があるために、
どこか気詰まりしたり、楽しくなかったりもします。
→一般論や常識に振り回されると「生きるのがつらい」と感じる理由

ありのままの自分に誇りを持つ

私は昔、ずっと「今見えるはずの明るい景色」を見ようとせずに、違うもの、
すなわち「自分が持っていないもの」ばかりを見て過ごしていました。

 

 

人とうまく話せない、同じように働くことができない、協調性がない。
自分に自信がない、能力もない、才能もない、器用でもない。
むしろ「ないものしかない」というような否定的な気持ちをずっと持っていたし、
その中でも探せば「持っているもの」も確かにあるのに、気づこうとしない。

 

そして、勝手に自分を欠陥品扱いし、ないがしろにし、「どうせ欠陥品だし、
何やっても無駄だし…」と諦めて、言い訳しては逃げ続けていました。

 

 

できないことがあるなら、できるようになる努力も必要…だとは思うものの、
それもせずに諦めていたのは「できない自分を認識し、より自分のダメさを
実感するのが嫌だから」だったと思います。

 

口では、あれもできるこれもできる…と見栄を張りながらも内心自信はない。
「やればできる」と思うものの、その「やる、行動する」ことをしようとしない。
仮に「やればできる」が事実だったとしても、実際にそのための行動を
しないことには、証明のしようがありませんよね。

 

 

結局のところ、自分に自信がなく「ダメな自分を認められず、隠したい」という
思いがあったからこそ、『口だけ』状態だったのだと思います。
→自分の嫌いなところを受け入れると穏やかになれる
→弱い自分も今の自分も認めることが成長に繋がる

 

昔と今と自分を比べてみて変わった…と思える部分がある反面、やはり今も
自分の嫌なところはありますし、「この部分は全然変わってないな…」と
思うようなところもあります。

 

 

しかしそれでも、以前は例えば「当たり前のものを、まず疑う意識」
「常識をまず、疑ってみる意識」がそもそも無かったことに気づきました。
気づけないと、何も変えられない。けど、一度でも気づくその「意識」が、
人をどんどん変えていくのではないかと、今はそのように思っています。

 

 

ニートにならなければ、引きこもりにならなければ決してアフィリエイトの
可能性に気づけなかったかもしれない。
考え方を変えるきっかけもなく、ただ社会に紛れて「普通に」自分にとって
生きづらい生活を送っていたかもしれない。
→引きこもり、ニートになったことのメリット
→「もう仕事したくない」と思ったから働くのをやめた話

 

そう思うと、正直なところ「社会のレールから転落できてよかった」とすら、
今は思えています。

 

 

 

レール

 

 

 

一般社会の人たちから見れば、私の生活や想い、価値観はもしかすると
「かわいそう」だと思えるようなものなのかもしれません、それはわかりません。
でも、例えそうだったとしても私は今は「人の目で」生きることをやめました。

 

自分の目で見て、自分で選んだ「やりたいこと」を取り入れ、おかしな奴だと
言われても「自分の意見を最優先に」生きていこうと思えるようになりました。

 

 

そんな自分が誇れる、だとか凄い、だとか勘違いをしているつもりはありません。
しかし、人それぞれ生き方があるように何も「人と同じ」生き方でなくても、
諦めなくても「働けない人間にも、道がある」ということに気づきました。

 

人と違う道に嘆き、必死に修正しながら生きていくこともできる反面、
ありのままの自分を認めて「違う道」を楽しみながら生きることもできます。

 

 

どちらが正解、などはありません。あなたや私が「正解だと思ったほう」が
正解なのだと、そのように思います。

 

あなたや私の生きる道は、決して他の人が決めるものではありません。
今、その道を歩んできた「あなた自身が、自分の意志で」決めるものです。

 

 

人目ばかり気にしていた頃は、私はいつもどこか息苦しく、人生が色褪せて
見えて仕方ありませんでした。
しかし、自分の目で生きるようになってからは必要以上に気負わず、楽に
過ごせるようにもなりました。

 

結果的に、「ありのままの自分を隠してばかりいた頃」が嘘のように、
今の自分をさらけ出すことができるようにもなりました。
変に見栄を張らなくなったので、「カッコ悪く見られてもいいや」と
むしろ開き直りのように、肩の力が抜けたような気楽さを手に入れました。

 

 

一度きりの人生ですから、どうせなら他人の目を必要以上に気にせず、
ありのままにやりたいことを楽しみたい。できることに取り組みたい。
あなたは、そのようには思いませんか?

 

雑談やご感想があればこちらからどうぞ。