もう生きていく自信がない、と悩むあなたへ

今の世の中で、一般の人と同じように生きていく自信がない。
今まで必死で頑張ってきたけど、ふと世の中が「自分には生きづらい」
ということに気づき、絶望してしまった。

 

私も、今の生きづらい世の中や「出る杭は打たれる」社会に心底嫌気が差し、
それでも抜け出す策が見つからず独りでずっと絶望していたことがあります。

 

世の中で生きていく自信がないからこそ、絶望する。
うまく立ち回れる自信がないからこそ、「もう疲れた」と何もかもが嫌になる。

 

しかし、生きづらい世の中でも確かに私たちが「救われる道」はあります。

 

 

・今の世の中、生きづらい人が多すぎる現状

・生きづらいと感じる原因は、性格か世の中の風潮か
・死ぬまで働くのは絶対に嫌!というあなたへ

今の世の中、生きづらい人が多すぎる現状

今の世の中を、生きづらいと感じている人は大勢います。

 

私も、十代後半で既に社会のレールから脱落し、以後10年以上引きこもりとして
今の世間では、どうしても肩身の狭い思いをして過ごしています。
→プロフィール

 

 

世の中、たくさんの人がいるようにそれぞれに個性や考え方など、様々ですね。
いい家に住んで、いい学校を出て、いい会社に就職することが人生の全てだ!
…という人がいる一方で、肩書きや地位、名誉に全くこだわらない人もいます。

 

私たちは、幼少期から学校教育によって「人と競争すること」を無理強いされ
生きてきましたから、大人になってもその意識が抜けない人も、大勢います。

 

 

会社では人を蹴落とし、自分が出世することだけを望み、他人がどうなろうが
知ったこっちゃない。もちろん、全てがそうだとは言いませんが実際に、
そのような考えに取り憑かれた人も大勢います。

 

そして、繊細で心優しい、世で言われる「真面目」な人こそがそんな競争社会で
人と競うことを嫌がり、
社会の闇に自分も溶け込んで暮らすことを「嫌だ!」と思うのかもしれません。

 

 

汚い社会の実情を知っても、大半の人が口を揃えて「それが社会だ、そういう
ものなんだ」と諦めをつけ、本当はそんな社会が「嫌だ」と思っていても、
抜け出す行動をせず今も馴染んで生きていますよね。

 

確かに、今の社会や「大勢の人」たちの枠の中に入り込んでいれば、
安心する気持ちもよくわかります。

 

 

多数派なら、批判されることも減りますし特に、この国には「多数派が正義、
少数派は異常」のような偏見に満ちた認識も実際ありますから、
「大勢の中の一人」言わば「普通の人」として、暮らすのは生きやすいでしょう。

 

例に漏れなければ、「出る杭は打たれる」状況にもなりませんし、
「みんなと同じ」なら無条件に安心する感覚も、私もないとは言い切れません。

 

 

しかし、その代わり「みんなと同じ」の代償が「死ぬまで働くこと」だとしたら。
自分の人生なのに、常に人の顔色を伺って生きる道を強いられるとしたら。

 

考えただけで恐怖しかありませんので、私は「少数派でも、
自分の人生を生きたい!」と強く思いました。
そして、そのための道を本気で見つけよう、とも思いました。

 

 

以下の記事も、参考に読んでみてください。
→不労所得で生活する。「ブログで稼ぐ方法を選ぶ」
→働かないで生きるためにネットで稼ぐ方法を身につける

生きづらいと感じる原因は、性格か世の中の風潮か

人には性格や個性がありますから、当然あなたや私が今の世の中を「生きづらい」
と思っても、一方で「生きやすい」と感じて過ごしている人もいるでしょう。

 

世の中の大勢の人は、今もこの「人と同じことを強要される」社会に疑問など
感じず、「これが当たり前」と思って過ごしています。

 

 

国や社会に、個人の自由時間をほとんど捧げ人生の大半を「働くこと」に
尽くすのが、当たり前。
出る杭は打たれ、個人の「言いたいこと」も黙殺し、「人と同じ、はみ出さない
こと」が正義とされる、なんともおかしな世の中。

 

私はそもそも、内向的で人に対して、うまく自分の意見を言えない性格です。
この性格のせいで…と言うと、まるで「性格が悪い」ような言い方ですが、
実際に幼少期から、理不尽に嫌な思いをしたこともありました。

 

 

今の世の中は、性格一つ取っても「明るく、社交的」なものは万人に受け入れられ
認められる一方で、やはり「内向的」だとどうしても、生きづらいですよね。

 

その理由は、国や社会にとって「明るく、社交的な人」だと都合がいいからです。
どういうことか、お分かりですか?
例えば、人と関わる仕事にしても「お喋りで、場を盛り上げてくれる人」だと
「使う側」が何かと苦労を減らせるために「都合がいい」ですよね。

 

 

内向的だと、それだけで人慣れしていなかったりとそもそも「使いにくい」。
つまり、社会にとって「社交的な人」のほうが何かと都合がいいから○、
内向的は都合が悪いから×…のように「社会の判断」によって、
人の性格や個性にまでケチをつけられているのがまぎれもない現状です。

 

人の性格にケチをつけ、ダメ出しをして更に「それじゃあ、ダメだよ」などと
上から目線で諭される。たまったもんじゃない!…と思いませんか?

 

 

 

学校

 

 

 

このように、性格に限らず事あるごとに世間や社会は「人の個性」にまで
ケチをつけ、国や社会にとって「使いにくい、都合の悪い人種」だと判断すれば
勝手に善悪の判断をつけ、まるでダメなもののように扱います。

 

性格や個性にしても、社会や世間が「ダメだ」と判断を下さなければそこに
そもそも、「生きにくい」という実態は生まれません。
同じように、少数派も少ない、というただそれだけの理由で無条件に「悪」だと
世間が判断しなければ、「生きにくい」ということにはなりませんよね。

 

 

こんな風に、社会や国、世間が事あるごとに何かにつけて善悪の判断を下し、
勝手に人を裁くことをしているからこそ、そんな世の中に対して私たちは
ますます「おかしい」とも思うし、そんな世にならって生きていくのは
「生きづらい」とも思います。

 

他ならない、世間や社会の「こうあるべき、一般論」が少数派を苦しめ、
「生きづらい」と感じさせる原因を作っているとそのように思いませんか?

 

 

集団で、少数派を異質のように扱う。おかしいと責め立てる。白い目を向ける。
これでは、世間そのものが「集団いじめ」を行っているのと同じです。

 

たった一度の、あなたや私の人生を事あるごとに裁いてくる「世間」の目に従い、
その中でこの先も生きていくなど、心底バカらしいと私は思いました。

 

 

自分の人生なのに、世間の目なんかで生きたくない。
もっと「本当にやりたいこと」を思う存分やって、誰にも文句を言わせない、
自分だけの人生を思いっきり謳歌したい!

 

そう強く思ったからこそ、私はその思いにならって、これから生きていける道を
探しました。

死ぬまで働くのは絶対に嫌!というあなたへ

生きていく自信がない、と思う一つの原因は、やはり「社会に馴染めないから」
です。
つまり、社会に「馴染まなきゃ!」と思う意識が強いほど、やはり馴染めない
自分に嫌気も差すし、「こんなはずない…」と焦りも先立つ。

 

→「もう仕事したくない」と思ったから働くのをやめた話
→仕事をすることだけが人生の生きがいじゃない

 

そして、もう一つ「生きていく自信がない」と思う原因があります。
それは、「社会に馴染めず脱落した時に、「働くこと」以外に
お金を稼ぐ方法を知らなかった時」です。

 

 

つまり、今まで賢明に、そして必死になって社会に尽くしてきた、あるいは
レールに沿って生きることが正義だと信じて疑わなかったからこそ、
例外の「働かないで、お金を稼ぐ方法」を身につける機会がなかった。

 

そもそも、今の社会は「個人が、お金を稼ぐ方法」を習得すると国や社会にとって
「自分たちのために働いてくれる優秀な人材」が減ることになるので、
都合が悪いため「お金の稼ぎ方」など、教えてはくれません。

 

 

少し、考えてもみてください。
幼少期からの学校教育にしても、「お金の稼ぎ方」などという授業は
ありませんでしたし、教師や大人たちは「知識を身につけ、はみ出さないこと」
は必死に教えようとしても、「ネットで一人で稼ぐこと」など、
誰も教えてはくれませんでしたよね。

 

果たして、「都合の悪いこと」(個人が生きるためのお金の稼ぎ方)は黙殺し、
自分たちにとって「都合のいいこと」(会社で使われて働くための基盤となる、
学校教育)ばかりを押しつける、ご都合主義の社会にならって、
他ならない必死で頑張ってきたあなたが、これ以上傷つく必要があるでしょうか?

 

 

 

ベンチ

 

 

 

社会に馴染めないなら、無理して馴染まなくていい。
「働くこと」以外にお金を稼ぐ方法を知らないのなら、これから知ればいい。

 

そう思ったので、私は現在引きこもりニートでありながら、「もう一生働かない」
と強く心に決めて、「働かないで、生きていける道」を本気で探しました。

 

(働かないで生きる方法については、下記を参考にどうぞ)
→「働きたくない」なら、本気で自由になれる方法を探す
→学校に行けない、働けないと悩んだ時の解決法

 

 

思うだけでは、実現しないように大抵の人たちが「働くこと」に疑問を
感じてはいても、実際に「では、どうすれば働かずに生きていけるか?」
ということを本気で考え、道を探そうとはしません。

 

もちろん、中には本気で「働くこと」から解放され、自由気ままに
「働かずに自由に暮らせる未来」を手に入れるための行動を取った、
勇気ある方々もいらっしゃいます。

 

 

彼らは、死ぬまで働くのは絶対に嫌!自分は決して、働くために生まれた
わけじゃない、と強く思い「何としてでも、働かずに生きていく」と
決めたからこそ、実際にその道を手に入れる行動ができたのだと思います。

 

いい家に住んで、いい学校を出て、いい会社に就職して。
それも、もちろん一つの人生の歩み方だと思うし、私は人のやり方や思いに
とやかくケチをつけるつもりなどありません。

 

 

しかし、他ならない「人の人生にまで、生き方を決めて従わせる」押し付けの
ような現代社会に、激しく疑問を感じ「絶対に嫌だ!」と思ったので、
「自分の人生は、自分で決めよう」と決意したお陰で、
気持ちがとても軽くなりました。

 

今まで、私にも働けない悩みや、今はニートでもいつかは必ず働かなくちゃ
いけない、と「働くこと」に何度も苦しみ、時に絶望したこともありました。
ですから、人と同じにできないこと、レールを脱落して白い目で見られ続ける、
肩身の狭い思いをする悔しさ、つらさは痛いほどによくわかります。

 

 

でも、やはりそれでも私は「人に、自分の人生を決められる」のは絶対に
嫌だ!と思ったからこそ、もう二度と「働かない道」を選択できました。

 

道を脱線するのが怖い、あるいは少数派として生きていく不安など、
人にはなかなか言えない苦しみがあるのはよくわかります。

 

 

ですが、もう一度言います。
大勢の中で暮らせば、確かに批判はありません。「当たり前」の中で生きれば、
生きやすいこともあるでしょう。

 

しかし、その代わり「死ぬまで働く」ことと「自分の人生を他人に決められる」
道を一生、選ぶことにもなります。

 

 

大勢の中、不自由ながら個性を殺して生きるのか。
少数派でも、自分の人生を謳歌して働かずに稼ぐ道を自由気ままに歩むのか。

 

選ぶのは、あなたです。
ですが、「今の人生に疲れた」と思っているのなら、一度立ち止まって
新たな道を探してみるのは、非常に賢明な選択だとそのように思います。

 

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