一般論や常識に振り回されると「生きるのがつらい」と感じる理由

こんにちは、りうるです。

 

あなたは、日々の生活をどのように感じながら過ごしているでしょうか。
もしかすると、「なんとなく生きづらい、窮屈だ」と感じている部分があるかも
しれませんね。

 

もしそうだとしたら、その窮屈な原因の一つは「世間の目を気にしすぎている」
せいかもしれません。

 

 

どうせなら、一度きりの人生ですから「他人の目」ではなくなるべく
「自分の目」を優先して、気楽に生きていきたいですよね。

 

 

・他人の目ばかり気にしていると自分を見失う

・一度しかない自分の人生を生きるために
・許容範囲を広げるとイライラすることが減る

他人の目ばかり気にしていると自分を見失う

私が、自分の人生を一番「生きづらい」と感じていた頃を少し、
振り返ってみました。

 

 

私たちは、誰しも無意識に「人と同じこと」を好む傾向にあります。
「みんな持ってるから」「みんなやってるから」ほしい、したい。
一人だけ出遅れたくない、集団から浮くのは嫌、「その他大勢」だったとしても
馴染んで、ごく普通に生きていきたい。

 

私も少なからずそう思っていた時期がありますし、やはり少数派よりも多数派に
属すると安心する、という人は特に日本人に多いですよね。

 

 

「大勢」の中に溶け込む自分に安心する、という傾向があるからこそ、私たちは
「常識」や「一般論」といったものを大事にしますし、
一人の人間としてモラルが必要なのは、まぎれもない事実です。

 

常識があるからこそ、秩序は守られるしルールが存在しないと、社会の統制が
取れなくなり、めちゃくちゃになるのは目に見えています。

 

 

つまり、常識や一般論とは私たちに欠かせないもの、とも言えます。
しかし一方で、この常識や一般論に「縛られすぎる」のもまた問題、と
言えるのも事実です。

 

というのも、世の中には「常識」や「一般論」を持ち出して「世間」を
味方につけ、いつも自分の意見を正当化しようとする人がいるからです。

 

 

「こんなの、常識でしょ」「普通、知ってるよね?」「考えたらわかるでしょ」

 

要するに、自分の「常識」が全てだと決めてかかっており、それに
当てはまらない人や行動を一も二もなく「常識がない」と決めつける。

 

 

 

きっちり並ぶコップ

 

 

 

もちろん、そのようにふるまう人はごく一部なのですが、それでも
「自分の常識」がイコール世界中の常識であり、
正しいことだと決めつける考え方には、正直疑問を感じます。

 

個人の自由や考え方を尊重せず、自分の基準や常識で判断しては他人を裁く。
特に、「多数派」に属していない人に対する批判は大きく、その例が
ニートや引きこもりから、オタクや同性愛者。

 

 

基本的に、「受け入れられない、受け入れがたい」その最も大きな原因は
「人と違うから」「常識で考えられないから」。

 

常識だ、一般論だと大昔の誰が考えたかもわからない基準を持ち出しては、
勝手に他人を裁く人が、残念なことに多いのがこの国の現状です。

 

 

「(自分の)常識からはみ出ている」ことを理由に、犯罪を犯したわけでも、
他人に迷惑をかけたわけでもないのに、勝手に「悪」だと決めつけ、
個人の自由を侵害し、心ない言葉を浴びせる権利が、
果たして世界中の誰にあるというのでしょうか?

 

私もかつて、この「一般論」「常識」という言葉に囚われた人たちに散々、
傷つけられ心ない言葉を浴びせかけられました。
なので私は、「一般論」や「常識」という言葉に縛られるのはやめました。

 

常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う
[アインシュタイン:理論物理学者]

 

 

あなたも、もしかして似た経験にたくさん傷つき、心を痛めたかもしれませんね。
理不尽な心ない悪意に、行き場のない怒りを幾度もこらえたかもしれません。

 

個人の自由を侵害する権利など、誰にもありません。
嫌な思いをしたからこそ、たくさん傷ついたからこそ、
私はそういった偏見に囚われずに生きていきたい、と強く思うようになりました。

 

 

時に言葉は、どんな刃物よりも深く心をえぐります。
一方で、心を込めてつづった、言った言葉が誰かの救いとなることもあります。

 

同じ「言葉」を使うのなら、人の役に立つために。
そして救いとなるような言葉をつづっていきたい。
私は強くそう思ったので、自分を見失わずはっきりと意見を主張していこうと
心に決めました。

一度しかない自分の人生を生きるために

まだ学生時代の頃、尊敬する先生に言われた言葉があります。
それは、「あなたの人生なんだから、あなたが主役だよ」ということ。

 

 

人目を気にしている時は、どうしても「他人がどう見ているか?」
「嫌われないか」「変に思われていないか?」などに目が行きがちなので、
自分が「本当はどうしたいのか?」ということを後回しにしがちです。
→幸せになるには「感謝の気持ち」が鍵となる
→気楽に生きるためには「他人目線」をやめる必要がある

 

つまり、他人の目に気を取られるあまり「自分のことをないがしろにする」。
考えてみれば、たった一度きりしかない自分の人生だというのに、
人の目ばかりを気にして「本当にやりたいこと」もできない人生など、
あまりにもったいないとは思いませんか?

 

 

世間の常識や、一般論にばかり縛られているとやはりいつの間にか、
「世間の目」を基準にして物事を判断するようになってしまいます。

 

自分の頭で考えたことよりも、「世間が、他の人がどう思うか?」を一番に
気にしていると、当然「本当にやりたいこと」があっても、
足踏みしてしまいなかなか行動できないですよね。

 

 

「本当はやりたいけど、人が見たら引かれそうだからやめておこう…」
「興味あるけど、周りから見るとカッコ悪いし、自分の印象が変わるかも…」

 

私も昔は、世間や人の目ばかり気にしていたので常にといっていいほど、
このようなことばかり考えては悩んでいました。

 

 

自分の人生を歩めるのは、自分一人しかいないというのに一方で、
人目を気にして「やりたいこともできない」人生。
他人の目に疲れ果てた頃、やがて私はふと疑問を感じました。

 

「一体私は、誰の人生を生きるために生まれてきたんだろう?」

 

 

もちろん、答えは「自分の人生を生きるために」ですよね。
だからこそ、一度きりしかないからこそ「人の目を気にして、人の目で、
人の基準で生きているヒマ」など私たちにはないんです。

 

「誰でもない、自分の人生を誰にも遠慮せず思いっきり楽しみたい!」
そう思ったからこそ、私は「今自分のやりたいこと、できること」に
精いっぱい打ち込むと決めました。
→自堕落なニート生活から脱出する方法とは?
→自分の好きなことをするからこそ成功する人間になる

許容範囲を広げるとイライラすることが減る

あなたは、他人に対して「許せない」という行動があるでしょうか?

 

誰しも、自分の価値基準のもと生きていますから大なり小なり、
「あの人のああいう言動が許せない」「こういうところが嫌い」といった感覚、
おありかと思います。

 

やはり、誰しも心あるからこそ「完璧な人などいない」のだと思いますし、
だからこそ他人に対しても厳しい人や、甘い人がいて人それぞれなのですよね。

 

 

しかし、常識や一般論に当てはめて考えることが多い人ほど、この他人に対する
「許せない!」が増え、そして自らの人生を生きづらいものにする傾向が
あるのだと思います。

 

というのも、自分の持っている常識や一般論が根強く染み付いているほど、
その「(自分の)型通りに動かない他人」を見つけると、どうしても
「信じられない」「許せない!」という感覚が生まれます。

 

 

つまり、今まで染み付いた常識や一般論を強く意識するからこそ、無意識にも
他人に対しても「自分の常識」を当てはめてしまい、「(自分の)常識から外れた
人の行動」を許せないと、厳しい目で見てしまう。

 

他人に対しての「許容範囲」が狭くなると、どうしても「許せない行動」が
いくつもでき、それはつまり「許せない行動が多い」からこそ、
日常でイライラしたり、ストレスを溜めることが結果的に増えてしまいます。

 

 

一方で、他人に対してあまりイライラしない人というのは、やはり
「他人に対する許容範囲が広い」ので必然的に「許せない行動」が非常に少なく、
同じことにも「許せない!」と怒る人がいる一方で「まあいいか」と
割り切ることができるのだと思います。

 

お分かりでしょうか?
つまり、他人に対してあまりイライラすることがないからこそ、人の言動、
挙動を一々気にせず、ストレスを溜めない。

 

 

 

羽根

 

 

 

「他人に対する許容範囲が広い」とは、言い換えれば「人に優しい」とも
言えそうです。
人に優しいからこそ、多少気になることがあっても「まあいいか」と目くじら
立てることなく、イライラすることもない。

 

だからこそ、それは結果的に「ストレスを溜める時間を減らして、いい気分で
過ごす時間が増える」と、そう思います。

 

 

一方で少し、考えてみてください。
人に対して怒る時に「常識的にありえない!」や「普通、考えたらわかるでしょ」
のように「常識や一般論に当てはめて」他人を裁く人は、意外と多いものです。

 

だからこそ、私たちはいつの間にか、幼少期から自分の中に強く根付いた
「自分にとっての常識、一般論」で人を判断しては、それに外れる人を
見つけると「間違ってる」「ありえない」と判断する傾向があります。

 

 

もちろん、全ての人がそうだとは言いませんが、私を含め「常識や一般論に
当てはめて、人を判断する」方が多いのもまぎれもない事実です。

 

 

人に対して「イライラしている」と気づいたら、一度自分にとっての常識や
一般論に縛られ、それを基準に判断していないか?と考えてみると今後、
私やあなたが更に成長するきっかけにもなります。

 

なるべくなら、イライラする時間を減らして楽しく、最短で成功する人になる
ためにも、他人に対する許容範囲は広く持ちたいものですね。

 

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