自分を劣等感の塊だと思っていた頃の話

こんにちは、りうるです。

 

あなたは、ご自分のことをどのように評価されているでしょうか?

 

 

こんな自分は嫌だ。もっと変わりたい。憧れのあの人みたいになりたい。
はたまた、自分で自分を評価する…など「くだらない」と思っているかも
しれませんね。

 

できない自分を実感する時は、多く「人と比べる」ことをする時。
人と比べても、何もいいことはない…とわかってはいても、つい
やってしまいがちですよね。
→人と比べるデメリットと、自分を客観視することの効果

 

 

ですが、少し待ってください。
一度視点を変えることで「今の自分」を客観的に見てみると、気づくことが
あります。

 

 

・人と比べることで自分のダメ人間さを実感していた

・変わらない自分と、変わった自分の違い?
・冷静になると受け入れることができた「今の自分」

人と比べることで自分のダメ人間さを実感していた

私が、人と比べることをして「自分のダメ人間さ」を実感するきっかけと
していたのは、多く「身近な同年代」と出会う機会でした。

 

 

例えば、数年ぶりに偶然近くのスーパーで出会った、元同級生。
例えば、何年かごしに顔見せの機会があった、昔よく遊んだ親戚たち。

 

その当時が「楽しかった」とか「嫌だった」とかではなく、ただ当時の時を
一緒に過ごした「同年代」と会うたびに自分の「ダメ人間さ」を実感していた。

 

 

…と、いうのも私は既にお伝えしている通り10年以上の引きこもりニートです
から、そんな自分を「知られたくない、見せたくない」という思いが
心のどこかに常にあったのだと思います。

 

 

まだ、自分の状況を認められていなかったからこそ、人に対しても「ありのまま」
ではいられなかった。
仮に、自分で自分が「引きこもり、ニート」であることを認めていたとしても、
やはり世間の目を思うとわざわざ「冷たい眼差し」を浴びたいとは思いません。

 

ですから、まだ「自分から、自分の状況を大っぴらに話す」ということは
できないのが正直なところです。

 

 

 

ねこ

 

 

 

何も、今の自分が恥ずかしいなどと思っているわけではない。
自分は自分、だと思えたからこそ、認められたからこそ前に向かって少しずつ
進むこともできている。

 

けど、やはり「大多数の無言の圧力」は怖い。つまり、幼少期に染み付いた
学校教育や社会、国の策略がまだどこかで残っている。
→引きこもり・ニートが働きたくないと思ったら
→「もう仕事したくない」と思ったから働くのをやめた話

 

 

同年代と会うのも、正直ほんの少し前まで怖い思いがあり、避け続けていました。

 

何せ、いくら働いていないことに引け目など感じなくてもいい…とはいえ、
(→ニートや引きこもりだからと罪悪感を持つ必要はない)
実際に、自分と同年代のバリバリ働く人を目の当たりにして比べる意識が
出てきてしまうのも、仕方のないことです。

 

 

いくら比べたくなくても、やはりどこかで比べてしまう。
仕事や働くことや、そういうことを抜きにしてもハキハキしている相手と、
それがない自分の「差」を思い知って一人、勝手に落ち込む。

 

 

意図せず「比べる」のが嫌で、それならいっそと自分から、他人と関わる機会を
できるだけ持たないようにもしていました。
要は、自分の「できないところ、ダメなところ」を見たくなくてずっと
目を逸らし、蓋をし続けていた。
→自分の嫌いなところを受け入れると穏やかになれる

 

そんな私でしたが、最近になってようやく少しだけ、変われました。

変わらない自分と、変わった自分の違い?

子供から大人になると、社会に出てバリバリ働くのが普通で、当たり前。
世の中に強く根付いたこの価値観は、私の周りでも当然健在です。

 

数年ぶりに会った同級生。何年かごしに会った同年代の親戚。
いずれにしても、彼らは世の中の風潮を受け入れて、ごく普通に働くことを
選択していました。

 

 

今更、「人と違って、働くことを疑問に感じる少数派の自分」が嫌になった
だとか、「やっぱり多数派がいい」だとかは一ミリも思ってはいません。
やっぱり、人と違っていても社会になかなか受け入れられなくても、それでも
私は「自分で、自分のやりたいこと」を決めて進んでいきたい、と思っています。

 

あなたも、そんな想いがあるからこそ今こうして、このブログを読んでくださって
いるのでしょうか。
だとしたら、やはり日々感じる、感じさせられる「肩身の狭い思い」を
不満に思う部分も、少なからずあると思います。

 

 

窮屈ですよね。少数派だと知って、大勢の流れに逆らって生きるのは正直、
強い精神力が必要だと思います。

 

時に、世の中の人たちが「当たり前のように信じている」社会のシステムや
風潮に、押し流されそうになることもない、と断言はできません。
実際、私は「私の声が届く人に対しては、本音を発信していきたい」と思っては
いますが、「聞く耳を持たない人」とは積極的に関わりたくないと思っています。

 

 

 

東京

 

 

 

大勢の習わしに従って、社会に馴染んで生きていく彼ら。
当然、彼らに「私の生き方」に口を挟む権利などないように、私にも彼らが信じる
ものに対して、どうこう言う権利などありません。言うつもりもありません。

 

正直なところ、私はずっと自分を受け入れられずにこもっていた頃には、
「同年代と違って、置いていかれる自分」が嫌で仕方ありませんでした。

 

 

大人になって、バリバリ働く同年代がいる一方で、私はいつまでも殻にこもって
一体何をしているんだ。
そう思うのもつらかったし、何より周りが口に出して何も言わなくても、自分が
耐えられなかった。劣等感しか無かった。

 

ですが、私は今になって数年前まで避け続けてきた「親戚の集まり」や、
「同年代と会いそうな場所」も自分から顔を出せるようになりました。

 

 

社会に揉まれ、変わっていく同年代。一緒に遊んだあの頃と違って、
大人になってハキハキ喋る彼らを見るのがずっとつらかった。
できない自分だけが、置いていかれている気がして仕方なかった。

 

 

けど、今になって「彼らは彼ら」「私は私」として、冷静に現実を捉え、
ありのままを受け入れられるようになりました。
だからこそ、「今まで避けていたもの」に向き合えるようにもなった。

 

一体、あなたはどういうことだと思われるでしょうか?

冷静になると受け入れることができた「今の自分」

私が、ずっと同年代と対峙することで「嫌だ」と感じていたのは、
他でもない「変わる相手と、それに比べて変わらない、成長のない自分」を
嫌でも認識してしまうことにありました。

 

要するに、ただ「同年代」だというだけで相手と比べては、相手の成長を
見て取って、成長のない自分に勝手に落ち込んでいた…ということですね。

 

 

やはり、今の私は社会や国のやり方に疑問を感じており、「働いて、自分の
自由時間をほとんど犠牲にする人生」に従いたくない、と思っています。
なので、正直なところ社会に揉まれて変わっていく同年代に複雑な思いは
ありました。

 

しかし、それはあくまで「私個人の感情、思い、考え方」です。
例えば、「働くこと」を正義としていて実際に「働くこと」に生きがいを感じ、
今の仕事が命、だと思っている人もおられるわけですよね。

 

 

彼らからすれば、むしろ私などは「こんなに楽しい仕事をしていないなんて、
かわいそう」だとさえ思われている可能性もあるわけです。
つまり、その物事を「どう感じるか?」は個人の感性なので、そこに「正しい」
や「間違い」という定義はないと、私は思っています。

 

働きたいなら、働けばいい。けど、働きたくないなら、働かなくていい。
正直、働きたくない人まで強制的に「働かせる」今の社会には、疑問を感じる。
これが、私の嘘のない本音です。

 

 

 

ビル

 

 

 

成長のない自分が、嫌だった。何も変わっていない自分が、みじめだった。
確かに、これらは私がかつてずっと持っていた、正直な想いでした。
だからこそ、どんどん成長していく同年代から目を背けていたし、人と会う機会を
自ら避けてもいた。

 

けど、ここ数年でふと冷静になってみて、「変われた自分」に気づくことが
できました。

 

 

昔は、「お金を稼ぐこと」が正義だと、立派な大人だとどこかで社会に思い
込まされていたので、「働けない、お金を稼げない自分」にどうしても
劣等感があった。
あなたにも、強く根付いた悩みかもしれませんね。

 

しかし、今は「働かなくても、自分にできること」「今の自分だからこそ、
できること」があると気づけ、実際に「働きたくない!」という意思表示をして
「働かずに自由に暮らせる未来」へと着々と進んでいる。

 

 

つまり、何が言いたいかというと「今の自分にも、できることをやっている
実感がありそんな自分に自信がついたからこそ、成長している」ということに
気づいた。

 

そもそも、人と比べること自体意味のない行いでした。
当時の私は、「できない自分」に囚われて視野が狭くなっていたので、「する
必要のない行い」にも気づかなかったのだと思います。

 

 

人と比べても、そこから自分も意欲を持って伸びていく「糧」にするなら
いいですが、そうではなく落ち込むだけなら、生産性もなく無意味ですよね。

 

人と同じでなくていい。あの人はああ変わったかもしれないけど、私は私で
自分の信念を持って今、生きている。
社会に揉まれて変わる人がいるからと、自分も同じようにならなくてもいい。
それが「嫌だ」と感じるなら、嫌なことを無理やりしなくてもいい。
そう、冷静に思えるようになりました。

 

 

そもそもの話、同年代の「一部分だけ」を見て「変わった」だのと判断を勝手に
下すのは、早計だということにも気づきました。
一体、私は彼らのどこを見て「変わった」と判断しているのか?
外見?口調?お金を稼ぐ能力?そんなもので人の価値は決まるのか?
視野が狭くなっていないか?

 

一旦、冷静になることで見えてくるものがたくさんありました。
自分の殻にこもり、何もしなかった頃は確かに自分に対する劣等感が強く
ありました。

 

 

しかし、今はもうその頃とは違う。「自分の成長」を実感し、着々と
「やりたいこと」へ向けて未来を切り開いているなら、何も悩む必要はない。
故意に止めていたはずの、時計の針はいつの間にか着々と進んでいる。
だったら、何も焦る必要も、不安に思う必要も無かったんだ。

 

今の自分を認めて、受け入れたお陰で毎日を楽しく、穏やかに過ごせる自分が
自然と、手に入っていました。
なるべく、アフィリエイトの作業も「余計な思考」に囚われず進められる
「マインド形成」を行い、楽しく取り組みたい。

 

学ぶ意識の高いあなたですから、そのようには思いませんか。

 

雑談やご感想があればこちらからどうぞ。