自分が嫌になった時。嫌いな自分と離れたい?

自分の嫌なところ、嫌いなところ。
自分が嫌で仕方がない。こんな自分を変えられたら…。
あなたにも、このような思いがあるでしょうか?

 

 

自分が嫌いだからと、今すぐ好きになることはできないかもしれません。
人間の心は、そう単純にはできていないですよね。
しかし、自分が嫌いでもその「嫌いなところを認める」ことはできる。

 

一体、あなたはどういうことだと思われますか?

 

 

・コミュ障で人見知りな自分が死ぬほど嫌いだった過去

・考え方を変えるか、自分の欠点を治すか?
・自分であることをやめたいと思った時

コミュ障で人見知りな自分が死ぬほど嫌いだった過去

突然ですが、私は極度のコミュ障と人見知りを抱えています。

 

 

10年間引きこもり…という部分でお察しの面もあるかと思いますが、ずっと
「できない自分」「働けない自分」「人より劣っている(と思っている)自分」に
コンプレックスを抱え、嫌で嫌で嫌で仕方がありませんでした。

 

詳しくは、下記の記事も参考にどうぞ。
→引きこもり・ニートが働きたくないと思ったら
→引きこもり・ニートがアフィリエイトを始める理由

 

 

実は、今でこそ「コミュ障で人見知りな、どうしようもない自分」をここで
こうしてさらけ出すことができていますが、少し前まではそれもままなりません
でした。

 

…というのも、私は自分で自分が「コミュ障で、人見知り」だということを
なかなか受け入れられていませんでした。
人と同じにできない、うまく話せないことに多大な劣等感があり、人と向き合う
ごとに「ちゃんとしなきゃ」と思う。

 

 

冷静になって考えてみれば、「ちゃんとするって、何?」という話ですが、
当時はずっと緊張して、頭が真っ白になって人と話せなくなる自分が嫌で嫌で、
なんとかしたくて、克服したくて仕方がありませんでした。

 

 

「こんな私は、カッコ悪い。他には誰も、こんな奇妙な人いないのに…」
「なんで私はちゃんとできないんだろう。どこかに欠陥でもあるのかな…」

 

 

人と違う自分を欠陥品だと思い込み、できない自分をこれでもかと責める。
確かに、学校教育や一般社会の影響もあったと思います。
実際、子供の頃から「うまく話せないこと」を大人に怒られ、人格否定され
自信をなくしたこともありました。

 

 

 

雪

 

 

 

決まって言われるのは、「それじゃあ、大人になってうまくやっていけないよ。」
「社会で生きていくために、もっとしっかりしなきゃ。」

 

 

皆さん、やはり「自分が正しいと思ったこと」を信じて生きておられますから、
中には「ダメだ」と判断したことは容赦なく指摘する方も、大勢います。
子供心に、自分を否定されると「ああ、私はやっぱりダメなんだな」と思いつつ
「そんな自分を認めてほしい」とどこかで思っていたような気がします。

 

 

ダメな自分を認めてほしい、それでもいいと言ってほしい。
あなたにも、少なからずこのような思いがあるのではありませんか?
人に否定され、ダメ出しをされると傷つきもします。
こんなに頑張ってるんだから、認めてくれてもいいのに…と悲しくなりますよね。

 

必死で頑張ってきた、私の努力を何も知らないくせに。
ちょっと関わる機会があったからって、私の「一部分」だけを見て全て
わかった気になって、「ダメだ」なんて気まぐれな判断を下さないで!

 

 

あなたに、一体私の何がわかるの?私の何を知ってるの?なんで上から目線で
「ダメだ」なんて否定されなければいけないの?あなたにその権利があるの?
…何度もこのように思い、自尊心を傷つけられてきました。
→ニートや引きこもりだからと罪悪感を持つ必要はない

 

 

しかし、ある時ふと気づいたことがありました。
私は、「ダメな自分」を「周りに認めてほしい」と思う一方で、そもそも
自分で自分のことを「ダメな奴」と、否定して生きてきたんじゃないのか?

 

一番自分を認めていないのは、もしかして「自分」なんじゃないのか?
…答えは、YESでした。

考え方を変えるか、自分の欠点を治すか?

私が、ニートや引きこもりになった最大の原因は当初からこの「性格」にあると
思っていました。

 

昔から、人とうまく話せない。緊張して、目を合わせられない。
まるで欠陥品のような「出来損ない人間」だとずっと思っていましたし、
そんな自分を人に知られるのが嫌で仕方がなかった。カッコ悪いと思っていた。

 

 

今まで、まともに診断を受けたことはありませんが恐らく、私は精神科や
心療内科を受診すれば、何らかの病名を付けられるのだろうと確信しています。
つまり、一般的に言えば「普通と違った、普通でない人」。

 

そんな「普通でない自分」はダメだと、やはりずっと思っていましたし、
何かしら人と対峙する場面ではやはり「うまく話せない自分」を激しく責め、
今度同じような場面に出くわすと「今回は、うまく話さなきゃ…」と余計な力が
入り、かえって失敗する。…という悪循環でした。

 

 

人間は、不公平だ。
幼少期からずっと、自分の性格を責められるたびに頭に浮かんだことです。

 

 

生まれ持った個性だ、と言いながらやはりどうせ生きていくなら、「生きやすい」
性格のほうがいいに決まっている。
「人と話すことが楽しい、なんでもない人」がうらやましくて、けれど妬ましくて
仕方がありませんでした。

 

 

同じ人間なのに、なんで向こうは好意的に受け止められて、私は否定ばかり
されるの?
生まれ持った「個性」というだけで、大した努力もせず「そう」なれたんじゃないの?
そんな風に思い、ずっと自分を「かわいそうな被害者」に仕立て上げていました。
→悲劇のヒーローやヒロインを気取っても成功できない

 

 

普通になりたい。普通に話せるようになりたい。普通に生きていきたい。
学校や、一般社会の目に囚われていた頃はずっと、普通ばかり求めていました。
はみ出し者の自分が嫌で、認められなかった。だから、悔しかった。
「普通の人」がうらやましかった。

 

 

 

水の泡

 

 

 

ですが、今はそうではありません。
あなたは、なぜ私が今「できない自分」「カッコ悪いと思っていた自分」
「人と同じようにできず、必死に取りつくろい隠してきた自分」をこうして
過去の経験として、話せているのかお分かりでしょうか?

 

過去の経験。つまり、今は既に「克服した」から、笑い話として話している。
…そのようにお思いでしょうか。

 

 

しかし、私は今もコミュ障で極度の人見知りです。
やはり、人と対峙すると緊張して上ずってしまい、うまく言葉が出てきません。
ですが、昔と決定的に違うのは「そんな自分でもいい」と思えるようになった。
「人と同じようにできない自分」を認めて、受け入れられるようになりました。

 

だからこそ、自分の欠点から目を逸らさず対峙できるようにもなりました。
つまり、変わったのは私の「性格」ではなく、「考え方」でした。

 

 

できない自分を「できるようにしよう」としたのでなく、できない自分でも
「今はこれでいいや」と、一旦認めることに成功した。
すると、自然と肩の荷が降りたように気が楽になりました。

 

やはりまだ、完全には「今の自分の性格」を受け入れられてはいませんが、
それでもこうして自分のことをつづれるようになった今、ここがスタート地点
ではないかと、そのように思っています。

 

 

認められれば、受け入れられます。
受け入れられれば、人は自然と「変わる方向」に向けて歩み出せます。
→ひきこもり無職の生活をブログで発信することの恐怖
→ついダラダラしてしまうあなたへ。強迫観念は捨てていいんです

 

自分の欠点を認められず、ただ治そうとするのか。
それとも、まず受け入れて、考え方を変える方向に転換するか。
さて、あなたや私が今後「嫌な自分」に囚われず、楽に生きていけるのは
果たして、どちらの道でしょうか?

自分であることをやめたいと思った時

確かに、正直なところ「どうせ生まれて来るなら、人と話すことが好きで、
緊張せず思うままに話せる、社交的な人間がよかった」という思いが、
今もないわけではありません。

 

しかし、同時にそれはただの「無い物ねだり」だし、何より「今の自分」に
対して、否定することにもなるので失礼だ…と思うようになりました。
失礼、と言うより「自分がかわいそう」とでも言いましょうか。

 

 

何も、「できない私はかわいそう」などという卑屈な想いからの言葉では
ありません。
そうではなく、いくら嫌だったとしても自分が嫌いだったとしても、
冷静に考えて「他の誰かになることはできない」ですよね。

 

決して誰かにはなれない、代われはしない。自分は一生、自分でしかあれない。
だったら、言い換えれば「一生付き合う自分」なんだから毛嫌いするより、
「認めて、受け入れて優しく扱う」ほうがよほど楽に生きられるんじゃないか?

 

 

嫌だから、と見ないふりをしてもなんの成長にもならないのではないか?
自分で自分をないがしろに扱うのは、「自分で自分を傷つけている」ことに
繋がらないか
そう思ったので、私は「今の自分も一旦、認めてみよう」と思えました。

 

早い話が、「自分が嫌だ、嫌い」だからと目を背けたところで、一旦
向き合わないことにはなんの変化も見込めません。

 

 

嫌だからこそ、一旦認めて「今はこれでいい」と思うことで、そこで初めて
「嫌な、今の自分を認めて向き合う意識」が芽生える。
向き合えば、「ここから、どうすればいいか?」と改善の努力もします。

 

 

とは言っても、やはり「自分の欠点と正面切って向き合う」のは、なかなか
厳しいものがあります。勇気がいりますし、目を背けたくもなります。
何せ、今まで嫌だからと毛嫌いして避けてきた部分です。

 

私も、コミュ障で人見知りでカッコ悪い、「理想と違う自分」を目の当たりに
するたびに嫌な思いをし、「なんで私ってこうなんだろう…」といつもいつも
責めることを繰り返していました。

 

 

 

森林

 

 

 

しかし、ふと「そんな自分でもいいや」と思えてからは、自然と肩の力が降りて
「うまくいかないけど、それでも人と『話せない』わけじゃない」
「確かに不便で気持ちは伝わりにくいけど、『暮らしていけない』わけじゃない」
と冷静に考えられるようにもなりました。

 

すると、不思議と「ダメな自分でも、ダメなりに人ともっと関わっていきたい」
と思えるようになりました。

 

 

今まで、意識的に避けていた人との繋がり。親戚のちょっとした集まり。
やりたい思いはあったけど、人との関わりを避けてできなかったこと。
少しずつ、自分のペースで「やってみたい」と実際に取り組むようになりました。

 

ここで一つ、気づいたことがありました。
それは、「例え人から見て、カッコ悪いと思えるようなことでも、自分自身が
認められていれば、何も問題なんて無かった」ということでした。
つまり、どういうことでしょうか?

 

 

人が見て、笑うようなこと。「こんなこともできないなんて…」と言う人が
いるかもしれないこと。
しかし、そんなことでも冷静に考えればそれは「その人個人の判断」であり、
「自分が下した判断」とは違う。

 

つまり、「できない自分」を見て人が「あいつはダメだ」と言おうとも、
自分で自分のことを「ダメだ」と思っていなければ、そこにブレはなくなる。
人の言うことを必要以上に気にせず、「自分の判断」で人生を生きる。

 

 

言いたい人には、好き勝手言わせておけばいい。自分の価値は、自分で決める。
こう思えるようになれたのは、意外にもアフィリエイトを始めたお陰でした。

 

アフィリエイトを始めたお陰で、自分にも「自分で決めて、継続してやれること」
があることを知り、それが強い自信になったせいだと思います。
つまりは、アフィリエイトのお陰で「ブレない自分」が自然と形成されていた。

 

 

こんなところで恩恵を受けるとは、正直思ってもいませんでした。
人生は、やってみなければわからないことだらけですね。

 

 

「自分であること」をやめたいと思っても、ではやめよう…とやめることは
できません。
一生、「自分は自分であり続ける」のなら、楽に生きられるのは「まず、
ありのままの自分を認める」こと。その上で、受け入れること。
そこから、改善の意識を持って少しずつ「なりたい自分」になる努力をする。
→魅力的な人間になるために。尊敬する人物の「いいところ」を意識する
→弱い自分も今の自分も認めることが成長に繋がる

 

 

変えられる可能性のある「自分」ですから、ほんの少しずつでも努力して、
「なりたい自分」を表現し、自分に誇れる自分を作っていきたいですね。

 

雑談やご感想があればこちらからどうぞ。