自分勝手な人の振る舞いに腹が立った時には…

生きていれば、人との関係は切っても切れませんよね。
特に、近しい人やなかなか離れたくても離れられない人は得てして
距離を保ちたくもなりがち。

 

このブログでも何度か、対人関係について「なるべくストレスを溜めない方法」
を提示しています。
→否定的になるのは嫌なところを意識するから?いいところ探しをしてみる
→今すぐ怒りを抑える方法。「とりあえず○○」

 

 

今回は、人の「自分勝手な振る舞い」に腹が立った時、どのように気持ちを
切り替えるとなるべくストレスを溜めないで過ごせるか。快適に過ごせるか。
…に焦点を当てて、実際に私が取り組んでいる方法をご紹介していきます。

 

腹が立つ、ということに囚われずなるべく自分も、相手も尊重しながら
互いに恨み恨まれることなく、過ごしていきたいですね。
→人間関係のトラブルを避けるために。人を○○する癖をつける

 

 

・ありえない、許せない!と思った時の対処法

・完璧な人はいない。キーワードは「そういう人もいる」
・気楽に生きたいなら「考えすぎる人」をやめる

ありえない、許せない!と思った時の対処法

まず、私自身の経験から一つ学んだことがあるので、お伝えしたいと思います。
…とは言っても、私も対人恐怖症であり人との距離感がうまくつかめなかったり、
とまだまだ勉強中なのですが、それでも時折学べることもあります。

 

今回も、人に対して腹を立てている時の「自分の心境」を後になって見返して
みて、気づいたことがあるのでご紹介しておきますね。
それは、「怒った時には一旦、冷静になるのが最も有効」だということ。

 

 

…どうでしょうか?「はらわたが煮えくり返りそうなほど、腹が立っているのに
冷静になるなんて、冗談もいいところでしょ?」と思われますか?
あるいは、「それができれば苦労はしない」…でしょうか。

 

いずれにせよ、私も「いざ怒っている時に」さあ、冷静になれ!…なんて
言われても、「ふざけるな」と言い返したくなります。はい、無理ですよね。

 

 

しかし、私が言う「一旦冷静になる」というその意味は、「怒った時に、すぐに
冷静になろうとする」のではなく「怒っている時に考えを巡らせない」
ということです。つまり、どういうことでしょうか?

 

まず、第一に「怒っている時」「深く落ち込んでいる時」などは私たちは、
どうしても「濁った思考」で物事を考え、思考の泥沼に陥ってしまいがちです。
…と、いうのもやはり、「怒る、落ち込む」という「普段と違った感情の波」に
支配されているので、そこに冷静さが欠けて普段の判断力が失われがちです。

 

 

 

穴

 

 

 

少し、考えてもみてください。
あなたも、怒っている時や落ち込んだ時には、何か物事を考えても決まって、
「ロクなことを考えない」のではないでしょうか?
要するに、「濁った思考では、否定的なことばかりが浮かぶ」のでとても
前向きに解決策を探し、気分をよくすることはできないんですね。

 

だからこそ、「一旦思考をリセットする」意味でも、冷静になるのが有効。
冷静になった頭で、その時改めて「あの時、どうすればよかったか?」を
振り返ってみるのでも、決して遅くはありません。

 

 

冷静に考えられれば、思考が否定的な方向にかたよることもありません。
落ち着いて物事を判断する「客観的目線」を鍛えることにもなるので、
感情に振り回されている時のように、意図して思考を濁すことはなくなる。

 

そして、冷静になった頭で考えたいことがあります。
それは、「完璧な人間など、どこにもいない」ということ。
つまり、一体どういうことでしょうか?

 

 

完璧な人間はいないし、人を平気で傷つける心ない人もいる。
人の迷惑を顧みない、自分勝手な人もいます。自分のことばかりの人もいますね。

 

そのような人たちに、いくら口を酸っぱくしてあなたや私の想いを伝えても、
残念ながら彼らが変わろうとしない限りは、聞く耳も持たないでしょう。
→意識を変えることで自然と行動も変わってくる

 

 

つまり、人に何か言っても変わることを期待するのは無意味。
だったら、そんな人たちに「ありえない、許せない!」と腹を立てるよりも
有効な策。

 

思慮深いあなたのことですから、もう既にお分かりでしょうか?
そう、それは「そういう人もいる」と一旦受け入れてしまうこと。

 

 

言っても変わらない、変えられないのなら「変えられないものを変えようとする」
ことでストレスを溜めるよりも、「そういうものだ」と割り切ったほうが、
随分と楽に生きられることに、私も長い時間を掛けて気づきました。

完璧な人はいない。キーワードは「そういう人もいる」

対処法、とは言っても実際には「相手に対して何かする」のではなく、
「自分の中で、感じ方や考え方を変える」すなわち、視点を変える…という
ことになります。

 

やはり、私たちは人間である以上不安定な心を持っています。
どんなに本を読んだり、どんなに訓練しても人間ですから、時には気分が
落ち込んだり、人に腹を立てたりもしますよね。

 

 

そんな時に「あれだけ訓練したのに」「あれだけたくさん本を読んだのに」と、
心乱される自分が嫌になっても、仕方がありませんよね。
腹が立つものは立つし、落ち込む時は落ち込む。

 

それを、無理して「何でもないふり」をしたりつらい時に、わざわざ無理に
笑顔で過ごすのは何か違うと、私はそのように思っています。
なぜなら、自分の「今の感情」を認めず置き去りにして、例えば落ち込んだなら
「今、落ち込んでいること」を認められず「違う自分」を演じているからです。

 

 

つまり、早い話が「今の、落ち込んでいる自分」を大切にしていないんですね。
落ち込んだなら、落ち込んだで「今は仕方ないや」と一旦認めて受け入れるほうが
よほど、自分の心も楽になるのではないかと思います。
→自分の嫌いなところを受け入れると穏やかになれる

 

完璧な人などいない。神様や仏様のように、悟りを開いた人間など、いません。

 

 

いくら周囲からは温厚で、穏やかでいつもニコニコしているように見える人も、
陰で人に「感情に振り回される自分」を見せないよう、努力しているのかも
しれません。
あるいは、昔は感情的な人だったとしてもうまくストレスを発散する方法を、
身につけたのかもしれませんよね。

 

そもそもの話、「自分が完璧でない」のに人に対して「完璧を求める」のは
おかしいと思いませんか?

 

 

完璧を求めている、のではないにしても、例えばやはり神様や仏様のように
「できた人間」など、どこにもいなくて当たり前です。
不安定な「心」がある以上、常に前向きに…など無理な話ですよね。
→幸せになるには「感謝の気持ち」が鍵となる

 

 

だとすると、できた人などいないこの世の中で「できた人」を求めるのは、
「ありえないことを他人に求めている」ことになると思いませんか?
自分が「できない」のに、人に対して「できること」を求める。
完璧などないのに、人に対してその「ないもの」を求める。

 

もっと肩の力を抜いて、気楽に「そういう人もいる」となるべく気にせず
生きられたら、ずっと楽になれるとそう思いませんか?

気楽に生きたいなら「考えすぎる人」をやめる

人に期待するのをやめると楽になるように、人に「求める」ことをやめると
途端に、楽になることができます。

 

どのようなことにせよ、人に対して「これをしてほしい、あれをしてほしい」と
求めることは、言い換えれば「期待」ですよね。
「してほしい」と、「期待している」とも言うことができます。

 

 

少し、考えてみてください。
例えば、誰かがあなたに対して「何かを求めている」場合。

 

誰か…例えばAさんが、あなたに対して何か「してくれることを求めている」
場合も、当然あなたにも都合がありますよね。
心優しいあなたのことですから、恐らく「してあげたい思いはある」けど、でも
こちらにもこちらの都合があって、そこまで手が回らない…と断念します。

 

 

そんな時、あなたに「してもらえなかった」Aさんは、こう思います。
「してくれると期待してたのに、してくれないなんてなんて冷たい人なんだ!」

 

どうでしょうか?こんな風に思われたら、あなたも一言二言返したくなる
のではないでしょうか。
「こっちにだって都合がある。できないことだってある。そっちが勝手に
期待してた癖に、『冷たい人』だなんて自分勝手だなあ…」
…とも思うかもしれませんね。

 

 

この例のように、当然「期待されたからと、必ずしも応えなければいけない」
わけではありませんし、いわば「期待するのは、その人の勝手」です。

 

当然、期待された側にも平たく言えば「応えなければいけない義務はない」
わけですね。
こんな言い方をすると、少し突き放したようで冷たくも感じられると思いますが、
それでも実際「相手の期待に応えられること」は意外と少ないですよね。

 

 

 

冷たい海

 

 

 

頼まれれば受ける、器量の良さがあれば当然快く飲んでくれる人もいますが、
そうでない人もいるし、上の例のように人それぞれ、都合もある。
そんな時、最初から「期待しない」でおけば上のAさんのように、
「勝手に期待して、裏切られた気分になる」ことも怒ることもありません。

 

当然、物事を頼み頼まれる関係なら「頼んだほう」は「頼まれたほう」の都合を
考える必要があるし、お互いにお互いの都合や意見を尊重するのが、
トラブルに発展しない方法であると思います。

 

 

上の例のAさんは、「自分の都合ばかり」で「相手の都合」を一つも考えられて
いませんよね。
文字通り、「勝手に期待して、勝手に失望している」。
自分勝手と言われてしまっても、仕方がないのをお分かりいただけると思います。

 

頼み事をして、例え断られても相手の都合も考えて「まあいいか」と気にしない。
同じように、許せない人がいても「許せない!」と自分の物差しで測る前に、
一旦冷静になって「そういう人もいるか」と思えれば、気にならなくなります。

 

 

気楽に生きたいなら、やはり思考の回しすぎをやめて人に対して許容範囲を
広げる。「まあいいか」で許せるようになると、器も広くなります。
→一般論や常識に振り回されると「生きるのがつらい」と感じる理由

 

 

他ならない、私たちが生きていく上で「他人に対するハードルを下げる」ことは
「自分にとって」生きやすい世の中を意図的に作る、最善の方法だと
そのように思います。

 

自分にも他人にも、必要以上に厳しくあらず適度に甘くありたい。
そんな風になれたら、随分生きやすくなるとは思いませんか。

 

雑談やご感想があればこちらからどうぞ。