自分の嫌いなところを受け入れると穏やかになれる

人間ですから、やはり誰しも欠点の一つや二つありますよね。
特に、自分の嫌いなところやできないとわかっているところを認めるのは意外と
勇気がいりますし、目を背けたくなることも当然あります。

 

しかし、私は自分の嫌いなところをごまかし続けた過去を振り返ってみると、
「何一つ」克服どころか、変われていなかった事実にようやく気づけました。

 

 

・できないことや面倒なことをごまかす癖を認めたら…

・臭い物に蓋をすることはなんの解決にもならない
・自分と向き合うことは辛いし、怖い。しかし…

できないことや面倒なことをごまかす癖を認めたら…

例えば、私は昔から自分の嫌いなところ、嫌なところを自覚していても
「適当にごまかす」という癖がありました。

 

 

最後までやるのが面倒だから、ごまかして他の人に押しつける。
適当にやれるところだけやって、後は知るかとばかりに丸投げ。

 

いざ、自分のかつての行動を振り返ってみると目を背けたくなるくらいに
ひどい有様ですが、そうすることが「平気だった」のがかつての私でした。

 

 

それに気づいた今、その頃の自分を振り返ってみて思うのは、「人のことが
どうでもよかった」というよりは、「自分のことに精いっぱいで、人のこと
まで考える余裕がなかった」のが事実だと気づきました。

 

しかし、それもただの言い訳だ、と言われてしまえばぐうの音も出ません。
例え、「周りを見る余裕がなかった」などと言われてもそんなことは、
他の人からすれば「そんなの、知らないよ。私には関係ないじゃない」と
言われれば、実際その通りですから反論の余地もありません。

 

 

ですから、周りを見る余裕を持てるようになった今、ひしひしと実感しているのは
「自分が苦しいからと、人に対して迷惑を掛けていいことにはならない」
…ということです。

 

引きこもり、自分の状況に絶望して周りが一切見えなかった頃の私は、
ずっと世の中の全てを「どうでもいい」と勝手に諦めをつけていました。

 

 

 

夜空と木

 

 

 

そもそも自分と向き合うこともまともにできないのに、他人に対して余裕を
持って接することができるはずもない。
確かに、その通りなのですがそれでも、今だからこそ言えることが一つあります。

 

それは、「絶望して、投げやりになる人間を『支える周りの人』にも、
意図しないところでずっと大きな負担を掛けていた」ということです。

 

 

今は、私は自分の状況に絶望せず過ごせるようになり、周りを気遣う余裕が
出てきたから、こんなことを言えていますが当時は本当に
「自分のことしか見えていない」状況でした。

 

ですが、当然「枠の中にいる」時にはその枠の中の光景しか見えなくても、
仕方がありません。
それこそ、自分がつらくてしんどくて溜まらない時に他人を気遣う余裕など
持てるほうが不自然ですし、自分が満たされたからこそ、他人に対しても
優しくなれるのだと、そのように思います。

 

 

自分がつらい時には、つらい自分を癒すほうが先ですし、そんな時に無理して
他人のことなど考えようものなら、自分が壊れてしまうことにもなりますよね。

 

しかし、一方でかつての「自分のことしか見えていなかった」頃のことを思うと、
どうしてもそのことによってたくさん迷惑を掛けた人、傷つけた人に対して
「申し訳ない」という気持ちがわき上がってきます。

 

 

だからこそ、今の私にできることは「今度は、その人たちや世界中の人たちに
対して、役に立つこと、助けになれること」を意欲的に行っていくことだと、
そのように思っています。

 

 

このブログもその一環ですし、実際におごり高ぶりだと言われてしまうかも
しれませんが、「人を想って」行動する時には気持ちが優しくなり、
自然と心に余裕を持ってより、幸せに暮らせるようにもなりました。

 

そして、同時に「今までごまかしていたこと」「やらずに丸投げしていたこと」
を素直に認めて、少しずつ向き合っていくことで私自身、
過去の自分と比べてレベルアップできていることにも気づけました。

臭い物に蓋をすることはなんの解決にもならない

臭い物に蓋をする。つまり、嫌なことや見たくもないことをその場しのぎに
隠す、ということですがかつての私も、ずっとこの傾向を持っていました。

 

 

例えば、引きこもりニートで自立できていないことと10年間向き合おうとせず、
必死で逃げて逃げて、ただゲームやネットで時間潰しをしていたこと。

 

些細なことにしても、家のことやちょっと困った問題の後始末は、全て
親任せでしたし、そういう意味では「その場しのぎ」と言うよりも
「ずっと逃げていた」と言ったほうが正しいかもしれませんね。

 

 

…と、まるで他人事のように語っていますが、その頃の自分のことを思うと
私は、「同じ自分」であるにも関わらず「本当に同じ人間なのか?」と、
自分で自分を疑ってしまう始末です。

 

笑えないほどに悲惨だった当時の私の存在を、今まだどこかで「認めたくない」
という思いがあるからこそ、時に厳しい表現になるのかもしれません。

 

 

その頃の、「笑えない自分」のことを振り返って、当時私は何を考えていたのか?
と少し思い返してみました。
…しかし、どういうわけか答えが一向に見えてこない。自分のことなのに、
「かつての自分が何を考えていたのか」、全く思い出せないんですね。

 

恐らく、当時の私は「自分と向き合うこと」ができずに全ての事柄から
逃げ続けていたため、そもそも「考えること」を放棄してゲームやネットに逃げ、
自分という存在そのものを認めようとしなかったせいだと思います。

 

 

しかし、臭い物に蓋をし続けた私が今になってようやく気づいたことと言えば、
「臭い物は結局、放っておいても臭いまま」ということでした。
つまり、嫌だからと逃げ続けたところでなんの問題解決にもならない。

 

 

そして、臭いからと蓋をし続けるよりもそもそも「臭い」ほうの中身を
どうにかしたほうが、よほど後々快適に、幸せに暮らすことにも繋がる

 

それに気づいたので、私は「欠点だらけの自分でも、一度向き合ってみよう」
と思えるようにもなりました。

自分と向き合うことは辛いし、怖い。しかし…

できないこと、面倒なこと。自分の嫌なところ。
今まで、やらずに逃げていたこと。

 

その全てを「綺麗さっぱり」とはいきませんが、それでも逃げ続け、
挑戦を放棄していた頃に比べると今は、少しずつ「できること」が増えました。

 

家のことにしても、ほとんど親任せで何一つできない、むしろしようともしない
人間だったのですが、少しずつできることが増え、自分に自信もつきました。

 

 

やらずに言い訳することはできるし、いざやるにしても慣れないうちは特に、
「今までやっていなかった」のですからしんどいのも、当たり前ですよね。
しかしそれでも、「やる」ことによって実際に達成感も得られ、自分が
前向きに進めている実感も得られ、自然と気持ちも優しくなれます。

 

 

意図しようがしまいが、「協力すること」で人に対しての思いやりが育ち、
また「役に立てている」という実感と、「今までしてもらっていたこと」が
「決して当たり前じゃない」と気づけることで、ありがたみも生まれます。

 

感謝は、謙虚さを生むことにも繋がります。
→感謝の気持ちを伝えるほど、思いやりの心が育つ

 

 

自分と向き合うことをせず、ただ逃げ続けていた時は常に、辛い想いや
しんどい気持ちがありました。
自分の嫌なところや欠点にしても、目を背けて放置していてはいつまでも、
改善どころかなんの成長にも繋がりません。

 

なぜなら、そもそも「自分の嫌なところを認められていない」ので、
認めないことには改善か放置か成長か、いずれにせよ「なんとかしよう」という
意識に繋がらないので、現状維持にしかならないためですね。

 

 

 

同じ道

 

 

 

逃げ続けると苦しくなるのは、「本当はどうにかしたい」気持ちが心の底には
あるのに、結局「どうにもできない、弱い自分」を嫌でも自覚するからですね。
そして、手を打たずに「逃げ続ける」からこそ、いつまで経っても変化がなく、
結局「弱い自分」を逃げ続ける限りずっと、自覚する羽目になります。

 

私は、今になって「逃げ続ける」よりも「ダメな自分と向き合う」ことを
少しずつ、選択できるようになりました。

 

そしてその上で、一つ身に沁みて思ったことは「逃げ続けるより、勇気を持って
向き合ったほうがよっぽど、人生楽しく幸せに生きられるじゃないか…」
ということです。

 

 

自分と向き合うのは、怖いです。慣れないうちは特に、何度もまた
逃げ出したくなる経験を、私も味わってきました。

 

しかし、「自分と向き合う」ことで「今までできなかったことを、一つ
できるようになった」のですから、自然と自信がついて当たり前です。

 

そして、「逃げないことを選択する」というある種、一種の理想通りに動ける
自分を自覚することで、誇りにもなります。
少なくとも、「自分の弱さに情けなさを噛みしめていた」頃とは全く違います。

 

 

何も、決して美談のように語りたいわけではありません。
できなかった頃から、できるようになった自分を見てもらって自慢したい、
などと浅はかな気持ちから、この話をしているわけではありません。

 

ただ、「今できなくても、気持ち一つで人間はいくらでも変われる」
ということを、私の実際の経験を元に話すことで、何かしらあなたの人生の
きっかけになれれば、とそのように思ったからこそ、お話ししています。

 

 

できないことを、無理してやる必要はありません。
もし今の自分が嫌いなら、無理して好きになる必要もないと思っています。

 

しかし、物事に対して前向きに取り組むことは、他ならないあなたや私自身が、
「より、幸せになれる」ことに繋がるからこそ、かつての私のように卑屈に
生きていくよりも、「今できること」に少しずつ取り組んでいくその意志こそが
結果的に、未来を明るくする手立てにもなるのだと思います。

 

 

後ろ向きでいれば、嫌なことや持っていないことにばかり意識が向き、
不満ばかりが生まれます。
一方で、前向きでいれば物事のいいところが見え、気分も晴れやかになるからこそ
「今あるもの、こと」に感謝でき、つらい気持ちも吹き飛びます。

 

私も、前向きでいることにより自分自身も、嫌なことや余計なことを考えないから
こそ、より成長する意識にも繋がるし、そして慢心することなく
伸ばせるところまで、自分を高める意識を忘れず伸びていきたいと思っています。
→「慢心すること」が成功への大きな妨げになる

 

 

あなたがこれから、意図して選んでいくのは果たして、前向きか後ろ向きか。
どちらの意識でしょうか?

 

雑談やご感想があればこちらからどうぞ。