情報過多の時代だからこそ、誰もができること

私が小学生の当時は、まだ家にパソコンはありませんでした。
インターネットなど露知らず、放課後は校庭で遊ぶのが日課だったように
思います。

 

そして、中学に入った頃初めて家にネットの回線を引きました。
しかしその当時は、まだこれほどまでにネットが普及するとは夢にも
思っていませんでした。

 

あれから、10年以上が経過した今。
情報社会と呼ばれる時代を生きる中で、一つ思うことがありました。

 

 

・成功するには信頼できる情報源を見極める力も必要

・気軽に情報発信できる時代だからこそ、チャンスは無数にある
・ネットの闇に嘆くよりも、「今できること」に全力を尽くす

成功するには信頼できる情報源を見極める力も必要

今の世の中、ネットが急速に発達したお陰ですぐに情報が入ってきますね。

 

知りたいと思った情報は、スマホや検索画面にポチッと入力するだけで、
次の瞬間目の前に表示されることが当たり前の時代。

 

あらゆる情報が誰でも簡単に手に入るようになった世の中はとても便利なもの。
しかし、その一方で私たちは特に、情報過多のこの時代だからこそ
「信頼できる情報を見極める力」も必要なのだと、そのように思います。

 

 

少し、考えてもみてください。
気軽に情報を知ることができるその一方で、私たちは今や誰しもが「情報発信者」
として世界中に自分の知っている情報を届けられますね。

 

一昔前なら、手紙のやりとりだったのが不思議なほどに、今は既に
「誰しもが、指先一つであらゆる情報を世に発信できる」時代。
だからこそ、情報過多として「真実も、嘘も混ざり合ってネット上にたくさんの
情報が公開されている」という事態にもなります。

 

 

つまり、あらゆる情報を手に入れることができる一方で
「あらゆる情報を、真偽問わず気軽に発信できる」からこそ、より「信頼できる
情報を見極める力」を問われるのが、今の時代です。

 

 

 

雑誌

 

 

 

ネット上に限らず、テレビやラジオ、雑誌などあらゆる情報源に通じることですが
「公開されている情報」を全て鵜呑みにしてしまえば、やがて必ずどこかに
矛盾が生じてきます。
つまり、「あっちとこっちで、言っていることが正反対」という現象ですね。

 

なぜなら、ネット上では特に「誰でも気軽に情報発信ができる」からこそ、
発信者側が物事の真偽を確かめるよりも先に「思いついたら、その場でポチッと」
嘘でも発信してしまえるからですね。

 

 

つまり、あらゆる情報を誰でも発信できるからこそ、情報自体に信憑性つまり、
「信用していい度合い」が極めて薄いものが多くなっています。

 

以前、以下の記事で「信用できる情報の選び方」の話をしました。
→「自己投資」は理想の未来を最短で引き寄せる
→お金を使うのをケチるとアフィリエイトに失敗する理由

 

 

あらゆる情報源を全て鵜呑みにしていれば、やがて矛盾に混乱し
「どれが正しいのかわからない!」と頭を抱えることにもなります。

 

ネット上には、真偽をロクに確かめもせず、はたまた平気で「自分にとっての
都合のいい、嘘」ばかり発信する人も実際にいます。
もちろん、そんな人は一部なのですが、私も実際にそういう人たちの
行動を見たことがありますし、匿名掲示板などでは日常茶飯事のことですね。

 

 

このようなことは、「真偽」を重要視せずただ「祭りのように、騒ぎ立てること」
「面白おかしく、真実よりも刺激性を求めた結果」起こることだと、
私はそのように思っています。

 

 

私たちは、「働かずに自由に暮らせる未来」を手に入れるため最短で成功する
必要があるからこそ、いちいち情報に振り回されているヒマなどありません。

 

だからこそ、早いうちから「正しい情報を取捨選択する力」を磨き、
「信じるに足る」と思ったものだけを選び、今必要のないものは全て捨てること
こそ、最短で成功する唯一の道だと、そのように思います。

気軽に情報発信できる時代だからこそ、チャンスは無数にある

上記で、私たちは「誰しもが気軽に情報発信できる時代」だと言いました。

 

そして、そのせいで情報の質そのものが危うくなり、嘘に振り回されないために
「信頼できる情報を見極める力」が必要だと気づいたその時、私は正直
今の「情報過多の時代」に嫌気が差したのを覚えています。

 

 

「間違った情報を平気で発信するなんて、自分本位もいいところだ」
「嘘の情報を信じて、困る人がいるかもしれない…とか考えないのかな?」

 

 

そんな風に思ったのは記憶に新しいですし、「情報の真偽を確かめもせず、
気軽に発信してしまう人」が大勢いるからこそ、
「私は絶対に、そんな風にはなりたくない!」とも強く思いました。

 

ネット上での情報発信は、紙のノートに思ったことを書き留めるのとは
わけが違います。

 

 

「送信」ボタンを押してしまえば、簡単に情報を世界中に届けてしまえるから
こそ、情報の取り扱いそのものには慎重になるべきと思いますし、
実際に私はそうしています。

 

しかし、一方で「べき」という主張そのものがどこか「押しつけがましい」と
いうことも、十分に理解していますし、私は今自分のブログでこのことを
発信しているからこそ、あえて「べき」という言葉を使ったに他なりません。

 

 

無理やり、自分の考えを他人に「押しつけよう」などという浅はかな思考を
持っているつもりはありませんし、「人それぞれ、個性がある」ことも
身に沁みてわかっています。

 

そして、「情報過多の時代に嫌気が差した」一方で、今になって一つ、
感じたことがあります。
それは、「個人でも気軽に情報発信ができる」からこそ、「伝えたいことを
余すことなく、伝えられる恵まれた環境」にいる、ということです。
どういうことか、あなたはお分かりでしょうか?

ネットの闇に嘆くよりも、「今できること」に全力を尽くす

今の時代に嫌気が差し、情報過多と一言で片付けてしまうことはいくらでも
できます。
しかし、情報過多という事実がある一方で、やはり裏を返せば確実に
メリットといえるものがたくさん、潜んでいました。

 

確かに、情報過多だからこそ情報に振り回される人が出てきたり、
正しい情報を選ぶことができずに頭を悩ませることもあるでしょう。
ですが、その一方でどうでしょうか?

 

 

私たちには「情報発信の自由」と「好きな情報を選べる自由」があるからこそ、
例えば「悪いニュースばかり見て気分が塞ぐ」こともするし、一方で
「いいニュースだけを見て、その日一日を和やかな気分で過ごす」ことも
できます。

 

そして、気軽に情報発信ができるからこそ、こうして今私があなたに自分の書いた
文面を読んでいただけているように、「気軽に想いの丈を知ってもらう」
ことができる。

 

 

考えてもみてください。

 

やはり、一昔前は「伝えたいこと」があっても、それこそ世界中に自分の想いを
伝えることなど、一個人ではもはや不可能でした。
よほど目を惹く要素でもない限り、新聞や雑誌で取り上げてもらうことなど、
できませんしそもそも、メールも無かった時代には「遠方とのやりとり」と言うと
思い浮かぶのは、文通くらいのものです。

 

そんな時代が打って変わって、今はどうでしょうか?

 

 

 

新聞

 

 

 

「教えたい」と思ったら指先一つで、すぐに世界中に情報発信ができる。
自分の考えや思想、知った情報など遠慮せずに、誰にでも届けられる自由がある。

 

確かに、ネットの情報は使い方を間違えれば人を傷つけることも、困らせること
にもなるかもしれません。
しかし、やはり「心を持った人間」だからこそ、人々の「役に立ちたい」と
思って丁寧な情報発信を続ければ、やがてそれは「世界のどこかにいる、誰か」
の心を揺さぶる大きな可能性の一つにもなります。

 

 

あなたが届けた、たった一つの言葉が世界のどこかにいる、誰かの心を救う
手立てになるかもしれないなら、そして実際にそのチャンスに恵まれた
環境にいるのなら、情報過多のこの時代も捨てた物ではない…どころか、
素晴らしいものだとそのように思いませんか?

 

 

私も、情報過多のこの時代に情報に振り回されそうになり、やがて嫌気が差した
こともありました。
しかし、今では自分が情報発信者になったこともあり、情報過多でも、この
「気軽に情報発信ができ、情報を受け取れる時代に生まれてよかった」と
心底思っています。

 

 

活かせるものはうまく活かし、自分に必要なものだけをうまく取捨選択できれば
便利な世界はより際立ち、それが早く成功することにも繋がると、そう思います。

 

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