見栄っ張りな女がサイト運営で犯したとある間違い

私は、以前ブログとは別に趣味として、サイト運営をしていたことがありました。
もう10年以上も前のことで、時期から言えば「引きこもりになった頃」ですが、
この頃に犯した間違いを今になって振り返ってみて、感じたことがあります。

 

 

間違いを見直し、一つ一つ修正する。
同じように、人の間違いから学ぶことで成長のきっかけにもなりますので、
一度最後まで目を通していただければ、と思います。

 

 

・引きこもりもニートも隠して「仕事してるふり」をした過去

・自分らしく思うままにつづれないとやがて息が詰まる
・思うままに発信するからこそ、心を動かす文章が書ける

引きこもりもニートも隠して「仕事してるふり」をした過去

題名が全てを物語っていますが、これのお陰で随分と
自分で自分を苦しめてきていたと思います。

 

 

当時から引きこもり、ニートであったことをまだ受け入れられていなかった私は、
「有り余るヒマ」に耐え切れずにやがてサイト運営を始めました。

 

当時の私は、まだ「自分の状況」を受け入れることができていなかったので、
自分を客観視することもできずにただ「始めたいから、ヒマを潰したいから」
という理由でサイトを運営していました。

 

→焦ってイライラする原因は○○にあった!
→ネガティブを治すために持ちたい2つの意識

 

 

サイトの傾向としては、今のブログのようなものではなくただの趣味を
思うままに書きつづる…というものだったのですが、それでも
当時は「新しいことを始めた新鮮さ」で、それなりに楽しかったように思います。

 

決して自分と向き合い、「身になること」を始めよう…という学びのつもりで
始めたわけではなく、ヒマを紛らすためでしたが、それでも今になって
「あの時の経験が、少しなりとも生きてるのかな」と思うこともあります。

 

 

サイト上でも、そもそもブログと同じでサーバーを借りて、タグを貼って…
ということはありますから、夢中で行っていた経験が役に立ったことを、
実際にブログを初めて始めた時に実感できました。

 

そして、そのままただ「夢中で、自分のやりたいこと」を続けていけば
よかったのに、当時の私はヘンな所で見栄っ張りだったらしく、「自分を偽る」
ことをしてしまいました。

 

 

当時は、まだ「自分が、引きこもりニートであること」に強い罪悪感を持ち、
認められない受け入れられない状態だったのもあり、なんとか外面をよく
保とうとしたんだと思います。
→ニートや引きこもりだからと罪悪感を持つ必要はない

 

 

結果が、「働いていないのに、働いているふり」…正確には、当時恐らくまだ
学生と言える歳だったので、「学校行ってないのに、行ってるふり」ですね。

 

何気なく張った見栄が原因で、以後私は自分で自分の居場所を
なくしていったのでした。

自分らしく思うままにつづれないとやがて息が詰まる

働いてるふり、学校行ってるふり…とは言っても、何も自分から大っぴらに
職業を偽ったりしていたわけではありません。
ただ、「暗に学校行ってるふり」…とでも言いましょうか。

 

 

例えば、平日の朝9時〜5時頃まではサイトの更新をせずに、暗に「忙しい」
アピールをしたり、更新は休日のみにしたり。
掲示板やチャットなどで、同年代の学校の話題に入ったりなんかすれば、
うまく聞き役に回って、自分のことは一切話さない…ということを
繰り返していました。

 

要は、「学校行ってるふり」っぽいものはしつつも実際には「嘘はつきたくない」
ので、かといって自分の状況を話すのも嫌で、「適当にごまかしていた」。
…というのが、より正確でしょうか。

 

 

自分の状況を良しとしない思いが強ければ強いほど、つまり「罪悪感が強く、
『普通じゃない』自分を認められない」ほどに「今の自分の状況を
隠したくなる」のだと思います。

 

今は、こうしてブログでありのままの自分をお伝えすることができるようにも
なりましたが、当時は自分のダメさを隠したい、見栄っ張りの典型女だったので
どうしても、自分の状況を考えるのさえも苦痛で仕方がありませんでした。

 

 

認められないものを、受け入れられるはずがありません。
「自分はニート、引きこもり」だと受け入れられていないのに、そもそも
人に向かって「ありのままの自分を出す」ことなど、不可能ですよね。

 

なぜなら、自分の状況を認められない、と意図的に目を逸らしているので、
まず向き合わないことには状況が変わることはないから…ですね。

 

 

 

白いチューリップ

 

 

 

考えてもみてください。
何とかしよう、何とかしたい…と思えばこそ、「変える努力」をすることも
できますが、そもそも「見なかったこと」にしていれば「悪いところ、改善点」が
見えないので「どう変えていいのかわからない」ですよね。

 

 

確かに、ありのままの自分を出せば特に、引きこもりやニートは世間体が
お世辞にもいいとは言えませんから、批判を恐れるのも仕方がありません。
当時の私にも、恐らく「批判されたら…」と考えただけで怖い思いが
あったのでしょうし、今更その時の自分を責めるのも、時間の無駄だと思います。

 

しかし、一方でやはり「ありのままの自分を出せない」と、どうしても
言いたいことが言えない、本音をつづれない、隠して行動することになるので
「息が詰まる」んですよね。

 

 

例えば、価値観一つ取っても「引きこもり、ニート」ということを隠して
ブログを続けていれば、自分の本当の想いを赤裸々につづることもできません。
なぜなら、「引きこもりになったからこそ、考え方が変わった」というその
「前提」の部分を隠していては、物事の全てを語れないからですね。

 

いきなり「考え方が変わった」と言われても、「なぜ、変わったのか?」の
「なぜ」の部分がなければ、人の感情など動かすこともできません。
前提がなく、結果だけを言われても「納得する理由」が存在していないので、
疑問が抜けないまま終わることになるからです。

 

 

当時の私は、「自分のことで精いっぱい」だったので周りなど、一つも
見えてはいませんでしたが、今になって一つ、思うことがあります。
それは、「もし、当時ありのままの自分を出していたとしても、むしろ自分を
出すからこそ、より受け入れてもらえたんじゃないだろうか?」ということ。

 

どういうことか、あなたはお分かりでしょうか?

思うままに発信するからこそ、心を動かす文章が書ける

本音をつづらない人の文章に、読者が心を動かされることはありません。
なぜなら、そもそも物事を「本心から語っていない」ので、そこに情熱や本気の
想いが一つも乗らないせいで、メリハリある感情を動かす文章が
生まれないからです。

 

 

私も、今更過去を思い返した所でどうにもならないことはわかっていますし、
何も当時の「ありのままの自分を出せなかった」ことを後悔しているわけでは
ありません。

 

その時は、そういう行動しか取れなかった自分を理解してもいますし、
今にしても「時を経たからこそ」少しずつ、時間が心を癒してくれたのだと
自覚してもいます。

 

 

その上で、事実を事実と受け入れて過去を振り返ってみた時、やはり
「恐らく、あの時も今も『本音をつづる』ことが最善だったんだ」と思います。

 

というのも、やはり上記で言ったように文章を書くサイトではないにしても、
ふとした瞬間にぽつりと漏らした言葉や想いが、「本心からのものだからこそ」
人の心を揺さぶることもあるからです。

 

 

そして、運営する側にしても「気取らず、見栄を張らずありのままでいる」から
こそ、息が詰まらず、変に隠し立てをせず「素の自分」でいられるのですよね。
この事実があるからこそ、「本音でつづる」ことが
ブログやサイト運営にあたっての「最善」だと、そのように思います。

 

記事を書くに当たっての、キャラ作りと同じですね。
→ブログの記事は自然体の自分で書く

 

 

つらいからこそ、自分の状況をまだうまく受け入れられていないからこそ、
ついつい自分を偽ってしまうのは、私もよくわかります。
特に、私は昔は「自分で思うよりも、相当な見栄っ張りの女」だった
ようですから、意図して「普通と違う自分」を出したくありませんでした。

 

 

 

イス三脚

 

 

 

それを思えば、ありのままの自分を受け入れてブログでもすっかり表現
できるようになった現在、「あの頃と比べれば、少しは成長できたかな」
とも思います。

 

確かに、ありのままを出せば時には心ない人から思わぬ批判を受けることも、
ないとは言い切れません。
しかし、そのような人に気を遣って「自分を出せない」のはあまりにも
シャクですし、世の中は決して心ない人ばかりではないと、私も学びました。
→自分の主張ははっきり言う。言葉を濁すべきでない理由

 

 

平気で心ない言葉を投げる人がいる一方で、困っている時に優しく声を掛けて
くださる方、温かい応援メッセージをくださる優しい心を持った方も
たくさんいらっしゃることを、私も実感できるようになりました。

 

今までは、人に傷つけられ理不尽な思いをした経験があったからこそ、
人を信じられなくなっていた部分もありました。
あなたも、もしかすると同じような思いに苦しんでこられたでしょうか。

 

 

しかし、人を傷つける人にばかり気を取られていては、それこそ息苦しく
やりたいことも思うようにできなくなってしまいます。
自分の人生なのに、人の顔色を伺っていたせいで「自分の本当にやりたいこと」
が見えなくなるなど、不本意極まりないですよね。
→一般論や常識に振り回されると「生きるのがつらい」と感じる理由

 

 

生きている中でも、たくさんの方々に支えられ、助け合って生きている。
そして、ブログでも心温かいメッセージをくださるあなたたちに、私もたくさん
助けられてきました。

 

かつては、ずっと人を傷つける人間が嫌いで信じられずに、またそんな
自分さえも嫌いだった私でした。
しかし、今は「世の中思うほど色褪せていないし、たくさん素敵な人もいる」と
いうことに気づけました。「もっと、素晴らしい人たちに出会いたい」とも
思えるようになりました。

 

 

人を信じて、人を想って文章をつづるからこそ、機械には絶対に真似できない
心温まる、動かされる生きた記事が出来上がるのだと思います。

 

ありのままの自分を出すことの快感を知ったからこそ、私はこれから誠実で、
人に対して優しくありたいし、ありのままの想いを発信し、
少しずつでも成長していきたい、とそのように思います。

 

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