愛犬の世話を通して、見えた世界。初めて「働くこと」を選択

もう、4年前になるでしょうか。
私には、当時飼っていた愛犬がいました。名前はアイちゃん、中型犬。

 

飼い始めたのは、私が中学一年の頃。亡くなったのは、それから13年後。
私が26歳の時です。その当時、アイちゃんは私の人生の半分の年数を
共に過ごした事になります。

 

 

アイちゃんは、大人しくてとても賢い子でした。
「おすわり」「お手」「おかわり」なんかの芸はすぐに覚えたし、
散歩の時間もエサの時間も、興奮して騒ぎ立てるような事をせずに、
いつでもお利口に座って、落ち着いた子でした。

 

本当に手が掛からなかったアイちゃんですが、それをいい事に
うちの家族はもちろん私を含め、誰もがアイちゃんに手を掛けようとしなかった。

 

 

「放っておいても、お利口だから」…散歩は近くに住む祖父が
引き受けてくれていましたが、エサをやる時間も夜中の2時くらいに
なった事もあったし、私なんて当時は中学生…部活や学校で忙しかった、
と言えばただの言い訳にしかなりませんが、

 

自分の事に必死で、アイちゃんに手を掛ける事は全くと言っていいほど
ありませんでした。
ごはんは母がやってくれるし、散歩は祖父が。
今思い返してみれば、当時の私は家族の癒しであるはずのアイちゃんに、
一体何をしてあげただろう…そんな後悔が、ひしひしとわき上がります。

 

 

でも、相手は人間ではありません。
動物というのは本当に邪気のない存在で、人間たちにどれだけ
ぞんざいな扱いをされても、ないがしろにされても不満一つ言いません。
それどころか、たまに顔を出せば嬉しそうに尻尾を振って寄ってきてくれる…。

 

そんな風に、ただただ騒ぎ立てる事もなく、お利口に過ごしてきた
アイちゃんでしたが、やがて病気になったのは亡くなる3年前のことでした。

 

 

 

犬の顔

 

 

 

今思えば、「もっと大切に扱ってほしいよ…」というアイちゃんからの
メッセージだったのでしょうか。
私も母も、アイちゃんが病気になってからというもの、
介護を必要とするアイちゃんに手を掛けざるを得なくなりました。

 

認知症。犬でもなるんだと知ったのは、この時でした。
今までたまに散歩する事はあっても、滅多に顔も出さないし
ロクに相手もしていなかった私が、ここへ来て介護のお手伝いです。

 

当時からずっと家にこもっていたので、嫌でも私がその役目を担うのは
必然だったように思います。

 

 

自分の事一つまともにできないどころか、引きこもる自分とも
まともに向き合う事もできない当時の私にとって、
「犬の介護」はそれはそれは苦痛で仕方ありませんでした。

 

 

「なんで私がしないといけないの?」
「なんで病気なんかなったの? 今まで普通に歩けてたじゃん…」
頭の中をよぎるのは、どれを取っても自分勝手な考えばかり。

 

 

介護をし始めた当初は、こんな風に思っていたのを今も覚えています。
おむつの取り替えから、散歩のお世話。
時には排泄失敗で、私の手を汚す事もあったし時には、
散歩の途中で歩きたくても歩けないのか、座り込んだアイちゃんを
抱きかかえて、家まで帰った事もあります。

 

本当に、当時は手のかかる相手に「なんで」「どうして」の被害者意識ばかりで、
お世話して「自分以外の存在に時間を使うこと」が苦痛でなりませんでした。
今から当時の私を振り返ってみると、とても傲慢で自分勝手な、
心の狭い人間でした。そして、そんなかつての自分が今、心底恥ずかしいです。

 

 

当時、私が「嫌々やっていたお世話」ですが
いつからかははっきりとわかりませんが、だんだんと心境に変化が起こりました。

 

 

今まで、「なんで私がしないといけないの?」だったのがいつからか、
「アイちゃんもつらい思いしてるんだ、頑張ってるんだ」と思うようになった。

 

「お世話をしなきゃいけない自分」をまるで、無理やりさせられてる
「かわいそうな被害者」とでも思っていた当時の私でしたが、
いつの間にか年老いて、思うように動けなくなっていくアイちゃんを
いたわる事ができるようになっていました。

 

同時に、アイちゃんをお世話する事でアイちゃんに対する「情」がわきました。
たいへんな思いをしても、排泄失敗で汚物が手に付いても、もう
「なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないの?」とは思わなくなっていました。

 

 

「アイちゃんは、病気で今闘ってるんだ。だから私も、
できる限りのお世話はしてあげよう」とようやく思えるようになったんですね。
それと同時に、元気な時今までロクにお世話をしてこなかった自分に
激しく後悔し、もの凄く恥じました。

 

「ちゃんとお世話してあげられる環境にいたクセに、
私は今まで何をしていたんだろう…」そう思ったのを、今もずっと覚えています。

 

 

 

犬の散歩

 

 

 

アイちゃんは結局、歩けなくなり間もなくして亡くなりました。
もう、3年以上前の事です。介護している時の、やせ細った姿の
アイちゃんは今でも、私の脳みそに焼き付いて離れません…。

 

亡くなった時に固く決心した事が一つ、あります。
それは、「これからは後ろばかりでなく、前を向いて歩いて行こう」という事。

 

 

アイちゃんのお世話を最後までする事ができた事に感謝して、
それでもやっぱり亡くなったその日は一日中涙が止まらなくて。
生き物の儚さを痛いくらいに実感して、自分の不甲斐なさがやるせなくて…

 

その上で、私が決めたのは「前を向いて歩く事」

 

 

それまでは、私は自分の今の状況から逃げ続けていました。
「引きこもり、ニートになったのは親のせい」
「こんな私を受け入れてくれない社会のせい」
「私は何も悪くない、個性を認めてくれないのが悪い」

 

 

そんな風に何かしら周りのせいにして、今引きこもる自分から目を
逸らし続けていました。はっきりと、現実を直視する度胸が無かったんですね。

 

でも、アイちゃんのお世話をして心境に変化が訪れて。
自己啓発本をたくさん読んで、時には外へ出られない事に泣いて、泣いて…。
そんな思いをたくさんしてきた中で、ようやく思いました。

 

 

「周りのせいにしたって、何一つ解決しないんだ」

 

 

そして同時に、「引きこもりである自分」「ニートである自分」
「社会の人々と同じように、働く事ができていない自分」を
素直に受け入れて、認める事ができるようになりました。

 

そして、アイちゃんが亡くなってからそう経たないうちに、
私は初めて、「働きに出る」という事を経験しました。

 

→「働く」に感じた疑問。「自分はどうしたいのか」の答えが明確に見えた時