臨機応変に生きると不満がない人になれる?

不満を溜めては、イライラしてしまうその原因をあなたはご存じでしょうか?

 

 

人間は、考え方一つで今すぐ幸福にも不幸にもなれるからこそ、できるなら
多くの時間を「幸福に」過ごすためにも、気分が悪くなる考え方は
避けたいものですね。

 

常時、楽しく苦しみとは全く無縁…というわけにはいかなくても、なるべく
多くの時を「楽しく過ごす工夫」。

 

 

余計な思考に惑わされず、淡々と最短で物事をこなせる人間になり、
成功するためにも。
一度、最後までご覧になってみるとまた少し、成功が早くなります。

 

 

・不幸になる理由は無い物ねだり。発想の転換をする

・ストレスを溜めないためにはまず「不満を溜めない」
・周りの環境を変えるよりも「自分の考え方を変える」?

不幸になる理由は無い物ねだり。発想の転換をする

ふと、時間を確認しようと時計を見てみれば、止まっていました。

 

最初見た時は、「ああ、電池切れかな。替えなきゃ」と思っただけで深くは
考えませんでした。
記事の作成途中だったこともあり、電池の予備もあったのですが「今すぐ」
替えるにはせっかく乗ってきたのに、集中力が切れるため「後で」替えることに
しました。

 

 

しかし、やはり日々繰り返している「習慣」は、すぐ私たちの身につきます。
時計一つ止まっただけで、大した不便もないと頭ではわかっていました。
ですが、ふと何気なく「止まったことを忘れて」何度か確認してしまうたびに、
「ああ、そっか。止まってたんだった」とそこで思い出す。

 

そこで、少しふと考えてみました。
時計なら、別に「止まったことそのもの」が大層不便、だというわけではない。
けど、日々の習慣のせいでついつい止まったことを忘れて、「今何時かな?」と
何度も確認してしまう。

 

 

そのたびに、止まっていたことを思い出す。
いかがでしょうか。見方によれば、これは「不便な状態」だと言えます。
「いつも動いているものが動いていない」のですから、当然「確認できない」
という点でとても不便ですよね。

 

 

 

しかし、一方で「たかが時計一つ」と思うこともできます。
記事作成が一段落つけば、電池を入れ替えるつもりでした。
そうすれば、また「止まってしまった不便な時計」は元通り「時間を確認できる
便利な機械」へと昇格しますね。

 

ですが、あえて半日ほど電池を入れ替えず「止まったまま」にしてみました。

 

 

なぜ、わざわざそんなことをしたのか?…と聞かれれば、恐らく大した理由は
ありません。
しかし、「いつもそこに当然あると思っているもの」の存在に、止まったことで
初めて気づかされ、ふと思うことがありました。

 

それは、「確かに、あると便利だけど『ない』からと不便だと判断するのは
いわば『無い物ねだり』にならないか?」ということ。
つまり、「ない」状態でも「慣れてしまえば」そう不便なく馴染めるのでは
ないか?…と思ったんですね。

 

 

最初のうちは、当然「ある」と頭の中に習慣づいているので、やはり何度か
動かない時計を確認しては、「止まっていたんだ」と思い出していました。
しかし、1時間経ち、2時間経ち…時が過ぎれば過ぎるほど、やがて
「動かない(ない)」状態に慣れる自分を実感していました。

 

 

「ああ、別にないならないでそんなに不便でもなかったな。」

 

 

そう冷静に思うだけで、見方を変えれば「なんで止まってるの!不便だな」と
不満に思うところを、「環境に馴染む」発想の転換に成功していました。

 

軽い実験まがいのテストだったので、後に時計の電池は入れ替えました。

ストレスを溜めないためにはまず「不満を溜めない」

上の文章を読んで、あなたはどのように思われたでしょうか?
「結局、何が言いたいのかよくわからなかった」と感じたかもしれませんね。

 

 

つまり、私が言いたかったのは「時には考え方を柔軟に持つことで、同じ物事
でも見え方が違ってくる」ということでした。
一体どういうことか、あなたはお分かりですか?

 

無い物ねだりと同じで、普段そこに「当然のようにある」ものを、「ある、
使える」と思い込んで過ごしていると、やはり「使えなくなった時」に不満を
垂れがちです。

 

 

「いつも動いてるのに、使えてるのになんで今日は動かないわけ?」
…という風に。

 

もちろん、「今あるもの」を便利に使い効率よく物事をこなす助けにするのは、
極めて賢い選択だと思います。
少し工夫して、時間短縮のために便利に「物を利用する」のは、誰もが
当たり前のように行っていることですよね。

 

 

例えば、私も今記事の作成を進めていますが、これを「紙のノートに一文一文」
書くよりも、パソコンを使って作業したほうがよほどはかどるというものです。

 

しかし、それが「あること、使えること」にいつしか慣れて「動いて当然」
という気持ちでいると、やはり突然動かなくなった時に戸惑うのも事実。

 

 

…とは言っても、やはり私たちの生活に染み付いた「便利なもの」ですから、
何もそこに「ある」のに「ないことを想定しろ」などと言っているわけでは
ありません。
当然のように利用しているなら、それだけ「生活に馴染んだ、大事なもの」
であることも多いですよね。

 

しかし、一方で例えば「突然動かなくなった、使えなくなった時」にも
想定外の事態に「慌てる、不満を垂れる」よりも冷静に対処したほうが結局、
心の安定を保てるのも事実です。

 

 

早い話が、例えば時計が動かないからと「昨日まで動いてたのに!不便だな!」
とイライラするよりも、「あ、止まってる…まあいいか。無くても何とかなる」
と「重要視しない」ほうが気持ちにブレがない。

 

パソコンが壊れたからと、「ないと困るのに!動いてよ!」と眉間にシワを
寄せるよりも、「壊れちゃった。新しいの買いに行こう」と気持ちを切り替える
ほうが、よほど心を乱されずにいられますよね。

 

つまり、時には臨機応変に「環境に馴染む」意識が、私たちの心の安定にも
繋がる…とそのように感じました。

周りの環境を変えるよりも「自分の考え方を変える」?

臨機応変に、つまり時と場合によって「どうにもならないこと」を「どうにか
しようとする」のではなく、「どうにもならない」ならいっそ割り切って、
「流れに身を任せてみる」。

 

 

少し、考えてもみてください。
例えば、パソコンが壊れて動かないからと、いくら何度も再起動したり叩いて
みても、「動かないものは動かない」ですよね?
動かないものが、叩いたからと新品のように快適な動きを取り戻すかというと、
そんなことはありません。

 

むしろ、動かないとわかったならさっさと家電量販店に行くか、スマホや携帯
などで「新しいパソコンを注文する」ほうがよほど建設的な行動と言えます。
あるいは、修理に出す。いずれにせよ、「動かないものを何とかしようとする」
よりはよほど、現実的で時間短縮になりますよね。

 

 

例えば、お気に入りのパソコンが急に壊れればショックを受けることもあります。
気に入っていた洋服を捨てる時には、私もとても名残惜しかったですし、
やはりお気に入りであればあるほどに、何とも言えない気持ちになりますね。

 

しかし、やはり修理したり縫ったりして「修復、修繕の余地がある」ならまだ
やってみる価値はありますが、そうでないなら時には割り切ることも必要です。
壊れたものを、いつまでも大事に取っておいても、役には立ちませんよね。

 

 

 

洗濯物

 

 

 

いつも「ある」ものが例え「ない」状態、壊れた状態になったとしても、
すぐにどうにかできないこともあります。
パソコンなら、修理して戻ってくるまで時間がかかる。買い替えるにしても、
やはり届いてセットアップし、使えるようになるまで時間がかかる。

 

その「どうにかできない時間」を、例えば「不便で、不快だ」とイライラしながら
過ごすこともできます。
しかし、その一方「ないならないで、楽しく過ごそう」と割り切って、いつもの
ように快適に過ごす努力もできますよね。

 

 

時には、「今ある環境に慣れる」意識を持って考え方を柔軟に、「あるものは
便利に」「ないものは気にせず」過ごせると必要以上に細かいことを気にせず、
より快適に過ごせるのではないかと、そのように思います。

 

不便になったもの、使えないとわかったものでもあなたの工夫や行動一つで
再度、便利に使えるのならそのための行動を取ると、快適にもなる。
しかし、できない、無理だ…とわかっているものに不満を垂れ、「なんで、
どうして」とイライラするのは他ならない「無い物ねだり」でしかありません。

 

 

時に、「今あるもの」に感謝し、「いつも当たり前に使っているもの」が
使えなくなった時、不満を持つよりも「ああ、いつも動いてくれてたんだ」と、
感謝できればイライラも不満も消えてなくなります。

 

不便な環境を「快適にする工夫」、そして不便だと思える環境でも意識を変えて
「なるべく気にせず、快適に過ごす工夫」。
意図して取り入れ、なるべく不満に思う時間を減らして満たされた心で、
アフィリエイトも進めていきたいですね。

 

雑談やご感想があればこちらからどうぞ。