やりたくないことも積極的にできるようになった話

昔は、時間は「自分のことだけ」に使うのが当然、という考え方でした。

 

親や周囲が「やってくれること」は当たり前、私がやる必要のないこと。
自分は、自分のことだけに時間を使えればそれでいい。

 

 

そんな考えだったので、たまに手助けを要求されたり、手伝って…と言われる
だけで心底嫌そうにしたり、「なんで私が?」と思うのが当たり前でした。
どこまでも自己中心的だった当時の自分ですが、今は少しずつ「そうでは
なくなってきてるかな?」と思えることがあったので、お話ししておきます。

 

 

考え方が変われば、随分生きやすくなるし物事の成長スピードも上がる。
向上心の高いあなたになら、言うまでもないことだったでしょうか?

 

 

・家のことに時間を取られるのが嫌で仕方ない?

・今の自分にできることが増えると自信になる
・成長しながら、人の役に立つ意識を持ってみる

家のことに時間を取られるのが嫌で仕方ない?

自分はほとほと、甘やかされて育ったのだなあ…と大人になった今、
振り返ってみて思います。
自分でできるはずのことも、やらずに「人任せ」にし続けていたし、むしろ
あらゆることを「やってもらって当たり前」という傲慢な考えを持っていました。

 

 

例えば、家事。掃除や料理、家のことなど。
子供の頃から、母が当然のように「全部一人で」こなす姿を見ていた上に、
「手伝って」なんてそもそも言われたことが無かったので「そういうものだ」と
どこかで思い込んでいました。

 

つまり、家事は母がやるのが当たり前。働いてお金を入れるのは父の仕事。
そんな風に、役割分担ができている…と言えば聞こえはいいですが、その実
「自分のことも人任せにして、面倒なことから逃げ続けていた」のが当時の
私だったように思います。

 

 

家事は、母が。経済面は、父が。
だったら、子供の私の「仕事」は一体何なんだろう?
特に、これは引きこもりを開始した頃、よく自分で疑問に感じては「何も役割を
持っていない自分」に引け目を感じ、責めることが多かったです。

 

今まで、「何かして過ごしていた自分」だったのが、急に「何もしないで過ごす
自分」になる。
つまり、学校や塾へ行くのが「自分の務め」だと思っていたのが、社会のレール
から転落し、その「務め」であるはずの役割を失う。

 

 

突然やってきた「自由な時間(親や周囲の働きの上に成り立っているもの)」に、
戸惑うのは当たり前のことですよね。
何もしない自分でいても「自分で、そんな自分を心から許している」のならまた
話は変わってきますが、そうではない。

 

 

「同世代の子は、今も学校へ行って勉強をしているのに。」

 

 

こう思うたびに、気持ちが落ち込むけどやはり「親の仕事」だと思っている
家事や働くことはしたくない。
したくない…けど、それだと私の役割がない。私には価値がないのかもしれない。

 

要するに、「あれもこれもしたくない」と当時の私は「自分のことだけ」を
考えては、頭を勝手に悩ませていたように思います。

 

 

「自分のことだけ」を考えて、時間を使って生きてきたので「家族のこと」や
「他の人のこと」を思いやることができない。
その結果が、「やってもらって当たり前」という傲慢な態度になったのだと
そのように思います。

 

しかし、「人のために動くこと」をしてこなかったからこそ、心が満たされない
貧しい人間になっていたのだと、気づくことができました。

今の自分にできることが増えると自信になる

役割分担、家事は決まった人の仕事。
そう思って、何一つ手伝ってこなかった私でしたが、とある出来事をきっかけに
考え方が大きく変わりました。

 

それは、病気をした愛犬の世話でした。

 

愛犬は、性格は大人しいものの身体が大きくておまけに認知症ですから、とても
世話役一人では「手が付けられない状態」でした。
だからこそ、世話を「手伝わされることになった」当時の私でしたが、やはり
最初は「自分から進んで」手伝う、と決めたわけではなかったのでいつも
不満でいっぱいでした。

 

 

要するに、冒頭の「何で私が?」ですね。特定の人がやる仕事、だと思い込んで
いるので、そもそも「手伝う」という発想がない。
物は言いようですが、第一「手伝う」という言い方自体が「自分が主体になって
やる気がないじゃん」と言う人もいます。
不満を抱えながらやりたくはありませんが、しかし確かに一理あると思いました。

 

 

当時は、本当はやりたくなんてないけど手伝わないとうるさいから、それが嫌で
嫌々手伝う…という子供じみた理由で手伝っていました。
誰だって、病気の犬のわけのわからない行動を制御するのは疲れるし、
排泄失敗の汚物を進んで片付けたい…などとは思わないはずです。

 

思えば、私は嫌々やっていたのに隣で淡々とこなす母は、いつもニコニコ…
とは言わないものの、愛犬のことを思いやって言葉を掛けていたような
気がします。

 

 

そして、そんな風に母の「懐の大きさ」を感じるたびに、自分の小ささを
見せつけられているようになって、余計に「どうせ私は心が狭いですよ」と
一人で勝手に卑屈になってもいました。

 

そんな私ですが、今は家事や家のことも進んで行えるようにもなりました。
最初の頃は確かに、嫌々行っていた自覚がありありと残っています。
しかし、今は率先して、嫌だと思わずできるようになった。

 

 

確かに、理由の一つには「できるようになる自分を実感するのが楽しい」、
「自分の成長とスキルアップを肌で感じられると、やる気が起きる」など、
自分本位のものもありました。

 

しかし、それとは別の決定的な理由が一つ、ありました。

成長しながら、人の役に立つ意識を持ってみる

私の考え方を、大きく変えてくれるきっかけとなったのは「愛犬の世話」。

 

最初の頃は、何をやるにも「自分の時間」を取られることを損だと思い、
人が困っていても「それはその人の仕事だから」と決めつけて、これっぽっちも
気遣うことはなかった。

 

そんな私でしたが、実際に最初は嫌々でも愛犬の世話を日々続ける中で、
一つ見えてきたことがありました。
それは、「誰かのために親身になって動く」って、やりがいがあるということ。

 

 

実際には、最初は嫌々だったので「親身になって」はいなかったと思います。

 

しかし、それでも日々愛犬と触れ、ごはんをあげてオムツを替えて、
散歩をして、時に歩けなくなった愛犬を抱っこして連れて帰って…と
「一緒に過ごす」うちに、認知症ながらも愛犬が自分のことを「慕ってくれて
いる」ことを、肌で感じることができるようになりました。

 

 

今まで、無関心で「何もしてあげていない」私だったのが「世話をするように
なった」ことで、愛犬からの目線がただの「一緒に暮らす人」から「世話をして
くれる、親しい人」…のように親しみを込めた目線になった気がしました。

 

…とは言っても、それもただの私の勘違いなのかもしれません。
犬も人間も、相手が「何を考えているか」までは正確にわかりませんよね。
第一、「一緒にいるうちに情が芽生えた」だけなのかもしれません。

 

 

しかし、それでも私の「世話をする意識」は、最初は「嫌々」状態だったのが
いつの間にか、「進んで」できるようになっていました。
その最大の理由は、「私でも、誰かの役に立つことができる」と実感できたこと。
そして、「誰かに尽くして喜んでもらえるなら、これもありかもしれない」
思えたことでした。

 

 

 

犬

 

 

 

つまり、愛犬の世話をすることで当時、初めて「人のために、何かすること」を
経験し、学んだ。
今まで、「自分のためだけに」時間を使い、「自分のことしか」考えてこなかった
私が、計らずとも「誰かのことを考えて、時間を使う尊さ」を教えてもらえた。

 

そのお陰で、愛犬が亡くなってからも「誰かのために」時間を使えるチャンスが
自分にはたくさんあることに気づきました。
そして、「人を思いやって、人のために何かをする」ことの大切さにも
気づけました。

 

 

なので、今は「家事は自分の仕事ではない」と傲慢にも思い込んでいた自分の
考えを改め、少しずつできるところから取り組めるようにもなりました。
お陰で、前は「人に頼られること」がほぼ無かったのに、それが一転して
時に「頼ってもらえること」を実感できるようにもなりました。

 

 

自分は、人の役には立てない。
自分ごときが、人の助けになれるはずもない。その力も能力もない。

 

 

そんな風に、どこかで漠然と思っていた過去の私でしたが、それは間違いだった
ということに気づきました。
人の役に「立てない」のではなく、「立とうとしていない」だけだった。
人の助けになれる「能力がない」のではなく、行動そのものを諦めていた。

 

役に立ちたい、と思って何か一つでも行えば実際に誰かの「役に立てる」可能性も
ありますが、最初から「できない」と諦めてしまえば可能性はそもそもゼロです。

 

 

確かに、家事や家のことなどは時には「めんどくさい、毎日毎日なんで私が…」
のようにも思ってしまいがちです。
過去の私と同じように、当然の顔をして手伝う意志のない家族に、恨みがましく
思うこともあるかもしれません。

 

しかし、気持ち一つで人の役に立てるかもしれない事実があり、その上に自分の
料理や家事スキルも上がるのなら、それはかけがえのない経験だと言えます。

 

 

そして、今の私は「家事は○○の仕事」「働くのは○○の仕事」と、分けて
考えるのをやめて「できる時に、できる人がやればいい」と思うように
なりました。

 

やはり、一度「○○は、○○の仕事」と頭から決めてしまえばそこに
「してもらっている、感謝」が無くなってしまいますよね。
最初から「それは、あなたがやって当然の仕事でしょ?」と思い込んでいるので
それも、仕方のないことと言えます。

 

 

ですが、やはり私はその「当然の意識」「当たり前だと決めつける」自分には
なりたくなかったので、だったら「気持ちを切り替えて、困ってるならお互い
歩み寄る気持ちで、率先して取り組めればいいな」と思いました。

 

人の役に立てると、意図せず清々しい気持ちになります。
自分が困っている時に助けてもらえると「ありがたいな」と思いますし、逆に
人のことを少しずつでも思いやれれば、その「温かみ」は必ず文章にも
活かせます。

 

 

自分のことしか考えなければ、人を思いやれる気持ちはどんどん鈍くなりますが、
一方で率先して「人のこと」を考えられると、意識がいつもそちらへと
向いているので、自然と気持ちを思いやれる人間になれます。

 

人の役に立つ意識を持ち、これからお互いにぐんぐん成長しながら、温かい
誰にも真似できない文章をつづり、自らの手で自由を手に入れましょう。

 

雑談やご感想があればこちらからどうぞ。