善悪の判断を下す人ほど、生きるのがつらいと感じやすい

生きていく上で、誰しも1日の中で色んなことがあります。
うまくいくこと、いかないこと。想像通りにいくこと、予想の斜め上をいくこと。

 

私たちは、つい「起こった物事」に対して善悪の判断を下してしまいがちですね。
例えば、朝は7時起きの予定が寝坊して8時、9時になれば
予想と違い遅れてしまったことに「最悪だ」と思う。

 

趣味や特技、勉強もなかなか思い通りに進まず時間を食うだけだと、
次第に進まない焦りからイライラしたり、
そのせいで余計に集中できず「もう嫌だ」と思うことも、ありますよね。

 

 

しかし、冷静になって考えてみると「うまくいかない(と思っている)こと」で
私たちが受ける損害とは、一体どれほどのものでしょうか?
うまくいかないせいで、取り返しのつかないことが果たして、
どれほど存在するでしょうか。

 

 

・生きるのがつらいのは物事を「ただ起こった事」と判断できないから

・いいことも悪いことも「まあいいか、これも想定内」と思えると…
・まあいいかと受け入れると、必要以上に気になることもなくなる

生きるのがつらいのは物事を「ただ起こった事」と判断できないから

私たちは、日々色んなことを考え、色んな思いをしながら
誰しも毎日を懸命に生きています。

 

 

例えば、周囲にはただ呆然と過ごしているように見えても、
その本人にしかわからない悩みや考えをたくさん抱えて、必死に
生きている場合も少なくありません。

 

いざ話さないことには「その人の感情、考え」などわからないからこそ、
人間同士考え方の違いや思い違いからちょっとした
いさかいやケンカになったりもしますよね。

 

そして、人それぞれ考え方や判断、人に対する見方が違うこの世界の中、
起こった物事に「いい、悪い」と善悪の判断をつけているのも、
いつも私たち人間です。

 

 

考えてもみてください。
人によって個性があり、考え方も様々なのですから当然、
Aさんなら起こった物事に対して「これはダメだ」と判断する一方、
Bさんは「この面は良かった」と違う見方をする可能性もあるわけですよね。

 

 

 

広場のイス

 

 

 

つまり、同じ物事でも人によって「いい」や「悪い」と感じる面が
あるのですから、「物事そのものに対する善悪の判断を下している」のは、
まぎれもなく私たち個人個人の「考え方」ということになります。

 

起こった物事は、ただそこにあるだけ。
それでも、「いいことが起こった」と判断すればその中に喜びを見つけ、
生きていく上でのバネにできるのですからそれも大いにありですね。

 

 

しかし、問題は「悪いことが起こった」と判断した場合です。
起こった物事に「悪い」と判断を下しているので、気分は悪くなりますし
「なんでこんな目に…」「こんなこと、起こらなければよかったのに」と
どうしても被害者意識が芽生え、思考はどんどん濁ってきますよね。

 

一旦思考が濁ると、気分が一気に沈み、
落ち込みますし下手をすれば「起こった出来事」そのものより、
「悪いことが起こった」という思考のほうに気を取られ、
いつまでも落ち込む原因にもなってしまいます。

 

 

つまり、物事を「悪いこと」だと判断したその時点でその物事は実際に
あなたの頭の中で、揺るぎない「悪いこと」になってしまう。
だからこそ、「あんなこと起こらなければよかった」と被害者意識が残るし、
その物事に遭遇してしまった自分自身が「かわいそう」とすら思えてくる。

 

かつての私も、何度も行ってきたことでした。

 

 

一方で、物事に「善悪の判断をしない」人は思考が泥沼化せずに、
「起こったこと」をそもそも悪として捉えないので気分が悪くなることも、
落ち込んでくよくよすることもありません。

いいことも悪いことも「まあいいか、これも想定内」と思えると…

起こった物事に「いいこと」「悪いこと」と判断をつけているのは、
私たち個人個人の考え方だと言いました。

 

 

大勢の人が、「いいこと」だと思うことも多面性を見て判断すれば
「それは全然いいことなんかじゃない!」と「いいこと」だと
思わない人もいるでしょう。

 

反対に、みんなが「悪いこと」だと判断しても、底抜けに明るく
ポジティブなCさんの目から見れば、それは「死ぬほどのことじゃないし、
むしろ『勉強になった』という意味ではいいことだった」と思うかもしれません。

 

 

要するに、「いいこと」「悪いこと」という判断基準は人によって違うし、
その判断そのものが極めて曖昧で、はっきりしないものだということです。

 

だからこそ、「同じ物事」を経験しても「へっちゃらだ」と思う人がいる一方で
「もう、ダメかもしれない…」と多大なダメージを受ける人もいるわけですね。

 

 

何も、一つの物事に「善悪の判断を下す」そのこと自体が悪い、という
ことではありません。その判断もまた、「善悪の判断」のうちに入りますよね。

 

判断する、そのこと自体がいい、悪いということではなく、
「その判断を下した後に、どう感じるのか?」がその後の時間を過ごす上で
大きな影響を与えます。

 

 

物事Aを、どんなことにせよ「大したことないし」と思えれば、
尾を引くことも、気持ちが落ち込むこともないでしょう。
一方で、何かあるごとに「気にしてしまう」傾向にあれば、やはり
非常に生きづらいですし、感情が落ち着くのにも時間がかかってしまいます。

 

そもそも、「悪いこと」だと判断を下したせいでその自分の判断そのものに
ショックを受けるのなら、最初から「いいことも悪いこともない!」と割り切って
ただ物事を「起こったこと」として受け入れられれば、後々尾を引くことも
なくなり、結果的に楽に生きられるとは思いませんか?

まあいいかと受け入れると、必要以上に気になることもなくなる

「まあいいか」。この言葉にあなたは、果たしてどのようなイメージを
持っているでしょうか?

 

まあいいか、だなんてえらく無責任で適当だな、と思うかもしれませんし、
一方で楽観的で過ぎたことを気にせずにいられそう、と思うかもしれませんね。

 

 

私は今でこそ、この「まあいいか」も気楽に生きられる考え方の一つだと
そう思えるようになりましたが、少し前までは
「何が『まあいいか』だよ、全然よくないよ!」と反発心を持っていました。

 

まあいいか、と思ったところで当然、何か問題を抱えているのなら
それが解決するわけではありません。
例えばの話、「宿題終わってない。まあいいか…」
と言われても「いや、やろうよ」となりますよね。

 

 

しかし、これは逆の言い方もできます。つまり、どういうことでしょうか?

 

「まあいいか」が問題解決に一つも繋がらない一方で、「全然よくないから、
しっかり解決策を見つけよう!」といくら真剣に「解決していない問題」に
取り組んでも、結局解決しないことはよくあります。

 

 

 

赤い花

 

 

 

例えば、その場でいくら頭をひねって考えてもわからないこと、答えの
出ないことはあります。

 

「こんな風に言っちゃったけど、あの人どう思ったかな…」と気にしても、
人の心の中まではいくら考えても正確な答えは出ませんよね?
いくら口で説明されても実際やってみないとわからないこともありますし、
考えた通りのことを実行できず、思わぬ時間を食うこともよくあります。

 

 

つまり、「いくら考えをこねくり回してシミュレーションしても、実際
その通りにいくことはほぼ100%ない」ということですね。

 

だからこそ、何かが起こった時に想定外だと慌てるよりも「まあいいか」と
気楽に構えてやり過ごしたほうが、結果的に「余計な思考に邪魔されない」。
つまり、ストレスなく過ごせる時間が増えますよね。

 

 

物事に善悪の判断を下し、悪いことが起こった時に「こんなの予期してない!」
とカリカリ怒って過ごすのか。
最初から善悪の判断をせずに、想定外のことがあっても「まあいいか」
「こういうこともあるよね」と気楽に流して、のほほんと過ごすのか。

 

 

果たして、どちらが今後あなたが成長していく上でストレスを抱えずに、
「起こったこと」に振り回されず楽しく生きていけるでしょうか。
アフィリエイトでも余計なことに気を揉まず、やがて最短で
成功するのは、どちらでしょうか?

 

恐らく、いつも思慮深く物事を考えるあなたですから、私が言うまでもなく
理解しておられると思います。

 

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